Interview

【東急不動産ホールディングス】10年かけてサステナビリティを社内推進させた伝道師が、起業家に転身した理由

【東急不動産ホールディングス】10年かけてサステナビリティを社内推進させた伝道師が、起業家に転身した理由

世界中でいま、脱炭素などの環境保全を目的とした「気候ビジネス」「グリーンテック」が大注目されている。気候変動に関連するスタートアップの数は世界中に2,700以上もあり、グローバル大企業であるGAFAMのほか、名だたる投資機関が積極的に投資を行っている分野だ。

世界動向の後を追うように、日本でも企業における環境保全の取り組みが年々増えている。帝国データバンクの調査(2021年)によると、SDGsに積極的な日本の大企業は55.1%と半数を超えている。

そんな日本のなかで先進的な取り組みを行ってきた企業のひとつが、東急不動産ホールディングス株式会社だ。同社は、2022年に社内起業制度で「サステナブル・デザイン株式会社」を設立。新会社は、企業の環境・サステナビリティを可視化するSaaSサービス「SusMIL」(Sustainability+見る / 可視化の造語)を開発している。

サステナブル・デザイン株式会社の代表取締役・松本恵氏は、東急不動産ホールディングスで10年以上にわたって環境活動に取り組んできた、同社のサステナビリティ推進のキーパーソン的な存在だ。2015年に採択されたSDGs(持続可能な開発目標)の5年以上前から、社内での環境ビジョン策定などの取り組みを進めてきたという。

社会動向を敏感に察知し、企業内で環境やサステナビリティ推進を進めてきた松本氏は、なぜいま社内起業家に転身したのか、今後どのような挑戦をしようとしているのか、その想いに迫る。

入社当初はヘルメットと長靴で建築士として現場に

東急不動産ホールディングスのサステナビリティ推進の中心的な存在といわれる松本氏だが、入社当時は環境問題にとくに関心が高かったわけではなく、好きな建物が建てられそうだからという理由で建築士として入社したという。

松本氏:入社当初は東急沿線のマンションや一戸建ての開発担当として毎日のように長靴を履いてヘルメットをかぶり、建設現場に足を運ぶ日々。10年くらいはそんな生活でした。

その後、出産を機に東急住生活研究所(現・東急不動産次世代技術センター)という社内シンクタンクに異動。2009年に東急不動産の役員より「環境に関する社内方針を作成する」との指示があり、「環境ビジョン」の策定を担当したことが環境領域に足を踏み入れるきっかけになったという。

慈善活動や寄付ではない。企業に求められる本質的なアクション

松本氏含め社内シンクタンクのメンバーは、東急不動産の環境推進の方向性、戦略策定に向け、1年をかけて世界動向の把握や自社の強みの洗い出しなどを行った。

当時の日本は「エコ」というワードが流行り始めた時代。しかし、日本企業の意識は世界と比べるとまだまだ低く、余裕のある会社が慈善活動や寄付で行っているというレベル感にとどまっていたという。

国連の資料や、グローバル企業の先進的な取り組みなどを分析するなかで、ビジネスの機会として環境問題に長期的視点で取り組む企業の存在を知り、環境への取り組みは企業価値に直結すると考えが変わったと松本氏は振り返る。

まだ広くは知られていなかったが、ESG(環境、社会、ガバナンス)の視点から企業を評価する動きが始まったタイミングでもあった。

松本氏:当時の日本では、現在のように持続可能で長期的な視点からアクションを起こす企業は少なく、環境問題は余裕のある企業が取り組むものという認識が強かったと思います。東急不動産の担当部署の名前も当時は『CSR』だったので、慈善事業や寄付を担当していると社内で勘違いされたこともありました。

そして2011年、東急不動産の「をようやく取りまとめ、同年3月に経営会議に上程するというタイミングで東日本大震災が起こった。

10年の年月をかけて、諦めずコツコツと社内に浸透させた

大震災が発生し、全国的に復興が急務という状況になったことで、社内でようやく高まりはじめたサステナビリティへの意識にブレーキがかかることもあったという。

しかし松本氏は止まることなく環境保全の取り組みの必要性を訴え続け、「そんなにやりたいなら自分で担当しろ」という担当役員の一声で、社内シンクタンクの仕事を持ったまま経営企画内のCSR部門に異動となった。その後、サステナビリティ推進室長に着任。

松本氏:もちろん当時は復興が第一でした。しかし数年後を見越して環境課題への対応にも手を打っておくべきだと思い、社会の動向を調べて役員にレポートを上程したり、社員向けの勉強会を開いたり、統合報告書の作成に着手をしたりと、社内意識を引き上げたいという思いで、自分のできることに取り組んでいました。

そして2015年9月、「国連持続可能な開発サミット」で「SDGs(持続可能な開発目標)」が採択され、国連に加盟する193か国が2016年から2030年の15年間で目標達成を目指すことが決定。同年、コーポレートガバナンス・コードが日本でも策定され、企業の成長戦略の一環としてサステナビリティへの対応が求められるように変化。本格的に世の中の意識が高まり始めた。

松本氏:長期的で持続可能な取り組みが必要との想いでCSR推進グループからサステナビリティ推進グループ(現:サステナビリティ推進部)に部署名を変えたときには、社内から『ようやくCSRの活動が浸透してきたのになんでそんな長い名前に変えるんだ』という反対意見もありました。しかし、SDGsやガバナンスコードの策定で、企業にもサステナビリティが不可欠という意識が社内にも浸透しました。私の取り組みというより、社会要請による変化が大きかったんです(笑)。

サステナビリティ推進室長として、松本氏は東急不動産ホールディングスグループ全体の環境への取り組みを統括し、不動産業界で最も早くRE100(企業が自らの事業の使用電力を100%再エネで賄うことを目指す国際的なイニシアティブ)、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)、SBT1.5℃目標策定など、先進的な取り組みを進めてきた。

2021年には経営企画部として中長期経営計画の策定に携わり、「WE ARE GREEN」を旗印に事業活動を通して社会課題の貢献を目指す長期ビジョン「GROUP VISION 2030」を策定するなど、長年にわたり培ってきたサステナビリティに関する知見を社内で発揮した。

しかしここで、松本氏はこれまでの自身のキャリアにひとつの達成感を感じたという。

松本氏:GROUP VISION 2030の策定にサステナビリティの視点で関わり作り終わった時、10年以上長くこの仕事を続けてきたこともあり、次はこれまで培ってきた実務の知見を直接社会に還元したいと思うようになりました。

サステナビリティデータの集計は膨大。過酷な作業

会社や私の強みを生かして、社会に貢献したい。

そう考えた松本氏は、自身がこれまで実務の中でずっと感じてきた「ある課題」に対してのソリューションを事業化できないか考え始めた。

松本氏:日本でも近年ESG投資が急拡大し、ESG評価機関に向けてサステナビリティデータを開示する企業が増えてきました。東急不動産ホールディングスの場合、グループのオフィスビルや商業施設、その他施設の数百棟の建築物の電気やガスなどの使用データを集めて排出されたCO2の集計を行うのですが、これらの膨大なデータの集計には多くの社員が関わり、残業するなどして対応していました。非常にアナログで手間がかかる作業です。

リソースが慢性的に足りていないだけでなく人為ミスが起きやすい集計業務を、効率的に簡易な方法でもっと正確に集計できないものかと課題に感じていました。数年前からIT部門に相談したりしていましたが、本業が忙しくて途中で尻つぼみになっていました。

そこで、社内ベンチャー制度が2019年に新しく創設されたことをきっかけに、松本氏は温めていたアイデアの事業化に挑戦することを思いついた。開示に必要なエネルギーデータを正確に集計、管理でき、業務の生産性を向上させるシステムの開発である。

仲間たちも一緒に課題解決に立ち上がった

松本氏は2020年に社内ベンチャー制度「STEP」に応募する際、当時のサステナビリティ推進室のメンバーに声をかけた。

松本氏:2020年~2021年は中長期経営計画をつくるタイミングと被っていて非常に忙しい年でした。それにもかかわらず、課題意識に共感してくれて、面白そう! と新規事業のチャレンジに3名が参加してくれることになりとても嬉しかったです。財務に明るいメンバー、実務に強いメンバー、知見が広く深いシンクタンク時代の上司だったメンバーなど、それぞれに私とは違った視点を持っていて頼りになりました。

2020年度の社内ベンチャー制度募集には70件もの応募があったという。審査を重ね、最終的には松本氏のチームも含めて2件の事業化が決定した。とはいえ、事業化が決まるまでは、本業との兼務で取り組まなければならない。

松本氏:中長期経営計画の策定もあって本業があまりにも忙しく、正直何度も心が折れそうになりました(笑)。なんとか乗り切れたのは、メンバーも一緒にがんばってくれたからで、心強かったです。

ターゲットの課題を深掘るヒアリングの落とし穴

「STEP」での新規事業開発の経験は松本氏にとって、これまでのサステナビリティ推進とは異なる学びが多く、起業した今でも当時を振り返ることがあるという。

松本氏:最終審査を通過したのひとつが途中で事業化を断念するという決断があり、一緒にがんばってきたこともあり、かなりショックを受けました。理由として『ヒアリングのやり方を間違えて、ニーズについて見誤ってしまった』とのことでした。

新規事業開発におけるヒアリングでは、ターゲットの真のペイン(痛み・課題)について思い込みや主観を抜いて正確に捉えることが大原則と言われている。

失敗のポイントは、ターゲットに課題や悩みをフラットに尋ねるのではなく、自分の「仮説」についての感想を聞いてしまったこと。日本人の多くは相手を気遣って問いに対して肯定的に答えてしまうため、ニーズが薄いことに気づくのが遅くなってしまったという。

松本氏:同僚の話を聞いてヒアリングの難しさを痛感しました。私たちのチームの場合、サービスのターゲットと自分自身がたまたま同じ立場だったため、課題とニーズを明確に把握したうえでサービスについてヒアリングしていました。もし私たちとターゲットが違う立場だったら、同じようなミスを犯していたと思います。以降、顧客の話を聞く時は、気を付けるよう心がけています。

女性は変化に強く、社内起業に向いている

社内ベンチャー制度によって2022年4月に立ち上げた新会社の名称はサステナブル・デザイン。ロゴマークは、6つのステークホルダーを表しており、すべてのステークホルダーへサステナブルな価値を提供したいという想いが込められている。

現在は企業のサステナビリティデータを可視化するサービス「SusMIL」(Sustainability+見る / 可視化の造語)を開発中。すでに大手企業を中心に10社のパートナーが参加しているという。

松本氏:参加パートナー企業からSusMILの使い心地について、感想をフィードバックいただいています。よりユーザビリティの高いシステムの開発のため、ご意見がとても役立っています。

2022年10月には、本格的なローンチとなる「Ver.1版サービス」の提供を予定している。サステナブル・デザインのシステムを導入することで、デジタルを活用して正確なデータの自動集計と自由な分析やESG対応が可能となることが期待されている。

サービスリリースを前に、松本氏はサステナブル・デザインが目指すことについて語った。

松本氏:2022年現在、サステナビリティや環境課題に対する企業の取り組みがより重要視されています。しかし、何から手をつけたらいいのかわからなかったり、どのようにデータを管理すればいいのかわからなかったりする企業も多いと思います。このような悩みをわれわれが長年培ってきた知見を提供することで貢献したいと思っています。

最後に社内起業家へのメッセージを聞いた。女性として新規事業開発にチャレンジした松本氏ならではの視点で話してくれた。

松本氏:女性は出産や育児などライフイベントなど生活の変化が大きいので、環境の変化にしなやかに対応せざるを得ず、強いマインドセットを持った人が多いように感じます。私自身、サステナビリティ業務が思うように進まず悩んだ時期もありましたが、出産や育児、育休からの復帰などの経験を通して鍛えられたのか『まぁなんとかなるだろう』という動じない心で、めげずに課題と向き合い続けることができたと思います。元々の性格が図太いだけかもしれませんが(笑)。女性だからと遠慮せず、環境の変化や周囲の反応を恐れず、やりたいことに向かって突き進んでください! 一緒にがんばりましょう。

取材・執筆:ぺ・リョソン 編集:佐々木鋼平 撮影:曽川拓哉

松本 恵-image

サステナブル・デザイン株式会社

松本 恵

横浜国立大学工学部建築学科卒業。1990年東急不動産入社。2010年より環境・CSRを担当、2018年にサステナビリティ推進室を立ち上げる。2022年4月に東急不動産ホールディングスの社内ベンチャー制度にてサステナブル・デザイン株式会社を設立し起業。国土交通省TCFD_ESGワークング委員(2021年)、環境省、企業などのシンポジウムに登壇多数。一級建築士。