ポーラの新規事業、冷凍宅食惣菜『BIDISH』、フジテレビ社員と協働で新メニューを開発し2月20日より順次発売
【SEE THE SUN】自然体なスタンスで「食の社会課題」に挑む
森永製菓株式会社の中から前例にない形で設立された株式会社SEE THE SUN。その立ち上げの背景には、新しい領域にも体当たりでチャレンジして道を切り開いてきたイントラプレナーの活躍がありました。決して平坦ではなかった立ち上げのプロセスと、大企業の関係会社だからこそできる戦い方で「食の社会課題」を解決しようする物語を取材しました。
▼目次
新規領域の仕事にも体当たりでチャレンジ
―まずは金丸さんのキャリアについてお聞きしたいと思います。森永製菓社に入社してから経験してきた業務について教えてください。
1998年に「商品企画・マーケティングがやりたいです」って言いながら入社しました。あるじゃないですか、新卒あるあるのキラキラした仕事がやりたいっていう(笑)。それで希望叶って商品企画・マーケティングの仕事からキャリアがスタートしたんですけど、実際やってみたらこれがとても大変で。商品のことを考えている以外に調整業務も大事な仕事の1つでした。
―裏側は地道な仕事ですよね。
そうなんです。職人肌の先輩にすごく怒られたり、泣かされたりして。まあ勝手に泣いてただけなんですけど(笑)。という、すごくしんどいスタートだったんですけど、マーケティングの仕事の中で、工場や研究者や営業の方を巻き込んでモチベートして進める仕事の仕方を学ぶことが出来て、すごく勉強になったと思っています。
―その次は広告関連の部署に異動されたんですよね?
そうです。広告部署では、消費者インサイトを考えたり、メッセージの伝え方を考えたり、自分としては楽しかったんです。「広告を作る」ってみんなが前向きな仕事ですし。
正直「一生このままでもいいかな」と思っていたのですが、ちょうど2010年くらいにインバウンドブームが来て「誰か専任でインバウンドの新規事業を」ってことになって、なぜか私がやることになって。
―ご自身としては新規事業に対して興味があったんですか?
全く! 全然興味もなくて「やばい」って感じだったんですけど、その時の上司が「軸さえブレなければ自由にやってみろ」って言ってくれたんです。「お前はちゃんとした計画とか無理だから、登ってみたい山があったら嗅覚で登ってみろ」と(笑)。
それで自分なりに自由にやらせてもらうことになりました。
―具体的にはどんなことから始めたんですか?
まずはそんなにツテもないのに中国に行ってみたりとか、中国人観光客のふりをして一緒にバスツアーを回ってみたりとか、銀座にいる中国人に突撃インタビューをしまくったりとか。そんなふうに色々と動いていたら楽しくなってきて。
―「顧客開発」的な動き方ですね。
そうですね。実際にやってみたらそういう仕事が好きだったみたいです。
当時入社10年目くらいで、だいたい社内の人も分かっているので、社内にも泣きついて回ったりしながら色々な方の協力を得て、中国人向けのお土産を作ったり、直販路としてアンテナショップを作ったりしました。そのアンテナショップが思ったより当たってしまった、という成功体験も積むことが出来ました。
「外の風」を社内の追い風に
―そこからどのような経緯で新規事業メインの部署に異動したんですか?
アンテナショップの仕事は「もう立ち上げは出来たから誰かに任せなさい」となったタイミングで、新領域創造事業部という部署が新しく立ち上がって、そこに異動しました。当時のトップの方針で「新しいことにチャレンジする会社にならなきゃいけないから」ということで、私以外はあえて社内のエース級の人たちを集めて部署にしたと聞いています。
―大胆な人事戦略ですね。
私はもともと近しい領域をやっていたからそのまま異動しただけなのですが、例えば全社のトップセールス級の人を引っ張ってきたり。
社内評価がイマイチな人たちを集めちゃうと「またなんかやってるな」くらいに見られちゃうのですが、エース級をぶちこむことで風向きを変えた、というのはすごい人事戦略だと思いますね。そうやって集まった6人で取り組みをスタートしました。
―具体的にはどのようなことから取り組み始めたんですか?
私は、アンテナショップから新規販路向けの商品を持ってきていたのですが、それが教育関連の商品だったことから、同僚が紹介してくれた教育系に強いという会社さんにその商品の相談に行ったんです。そうしたら、商品のこともそうですが、会社のこと、自分自身の考え方などについて、すごい質問攻めされながら、ダメ出しされまして。
「会社のここがダメなんですよ、ああしたら良いのに」などと言ってたら「ダメだと思うならなぜあなたがやらないんですか?早くやればいいじゃないですか?」みたいな。
―ドキッとするような。
そうそうそう。たしかにその頃って、社内で「アイデア会議」をやって行き詰っていたんですけど「アイデア会議もいいですが、結局は『やったかやらないか』です」と言われまして(笑)。
もう半泣きの勢いで社内に持ち帰ったんですが、そのタイミングでたまたま社長と話す時間も取れまして。社長からも「とりあえず何かやらないと意味ないよね」っていう風に背中を押してもらうことが出来ました。
―生々しいエピソードですね!
そこからは、部署内で「“とにかくやる”ことを否定しない」という標語を、それこそネタになるくらいにみんなで言い合うという文化が出来まして。まずは足掛かりとしてアクセラレーションプログラムをやることになりました。役員会議でも報告したのですが、その横文字の意味があまりよく分かってもらえないくらいの状況の中で「とにかくやってみなはれ」って感じでなんとか通しました(笑)。
―どんな立て付けでアクセラレーションプログラムを進めたんですか?
まずは外部のスタートアップ企業の方と社内から集めた人間を混ぜてチームを作ってアイデアソンみたいなことをやりました。
私もチームに入りまして、私もよく喋ると思うのですが、外部のスタートアップの方がその比じゃないくらいの勢いと熱量で喋るんですよ。私はもう書記しか出来ないみたいな(笑)。
―カルチャーショックが大きそうですね。
私も衝撃だったし、参加した社内の人も衝撃を受けてくれて。そこで集まった社内の人たちは30代くらいで、社内ではデキる人たちだったのですが、そういう人ほど社内がよく見えているので、批評家になってしまう可能性があります。それが外の人たちと会って「ものすごく大きな差を感じる」という機会を持つことが出来て。
そしたら、やっぱり人って狭いカテゴリーの中にいる時とそうでない時で、人間が変わるんですよね。いきなり「あの人ってあんな激しかったっけ?」みたいな勢いで感化され始めたりして。
―とても良い変化ですね!
場としてもすごく前向きで雰囲気が良くて、それを社長も見てくださっていて、一定の手応えを感じましたね。まだ世の中にアクセラレーションプログラムが多くなかった頃なので、スタートアップ側の起業家の方々も面白がってくれて。
私としても、今でも仲良くしてもらいながら壁打ちに付き合ってくれる外部の仲間が出来たり、という貴重な出会いでしたね。
―手応えを掴んで、そこからさらに発展させていったんですか?
徐々に社内の各部署の要職の人たちを「メンター」として巻き込んだりしながら拡大させていきました。「メンター」っていう概念も知らない人が多い中だったので苦労はしたんですけど、社内メンターとしてアサインすることで、結果としてめちゃくちゃ良い社内啓蒙になりました。
―なるほど。あえてメンターアサインをすることで文化を浸透させていく、と。
大企業になればなるほど、みんなが「今まで知ってる仕事」をやってるじゃないですか。そうすると、特に上の人になるほど、リスク回避の意味も含めて「誰かが知らないことをやっている」っていうことは心理的に不快に感じるんですよね。さらに、それをまた楽しそうにやってると「遊んでないで仕事しろ!」と言う感じになりがちで。
なので「あえてちょい噛みしてもらう」っていうことで「責任の所在は別として、仲間意識を醸成する」ことが出来たと思っています。
―素晴らしい根回しですね。アクセラレーションだけでなく、個人でも事業を持っていたんですか?
アクセラレーションだけだとあくまで支援者なので、途中からは個人でもテーマを持ちながら活動していました。その活動が後のSEE THE SUN立ち上げに関わってくるわけです。
大企業の関係会社だから出来る「食の課題解決」
―SEE THE SUN事業立ち上げのきっかけとなるテーマはどう見つけたんですか?
取り組むテーマ探しがとても難しかったです。
いわゆる内発的動機と外発的動機がある中で、東洋人は外発的動機が強いって言われています。さらに日本では教育的にも「あなたは何者ですか?」っていうのをやらずに大人になってるんですよね。その中でいきなり「やりたい新規事業は何ですか?」って言われても困っちゃった、という壁がありました。
―特に大企業の中にいると、働きながらそういったことを考える機会自体も少なそうですよね。
そうなんです。私もまさしくその典型でして、SEE THE SUN事業立ち上げのきっかけは、支援業務の延長線上にありました。
当時のアクセラレーションプログラムの支援先企業の事業の一環で「アレルギーのある子でもそうでない子でも食べられるお菓子を作る」というプロジェクトをやっていまして。最初は「アレルギーのある子」というマーケットのパイが小さく、工場でその量に合わせたロットで回すと、お客さまの求めやすい価格で仕上がらないという構造課題があったんです。
そこに対して「グルテンフリーブームの文脈をくっつけてパイを拡大したらどうか」と試行錯誤しているうちに、もう少し大きな「ヘルシー系の食市場の課題」が見えてきたんです。
―どんな課題感を発見したんですか?
おそらく多くのプレイヤーさんのもともとの発想としては「安心安全でヘルシーな食べ物でみんなを幸せにしたい」ということを願ってらっしゃると思うのですが、市場自体がいわゆる「煽り合い」になってきたり、ストイックになりすぎて、使える原料もどんどん制限されていって、生産原価も上がる一方、という事業者さんもいるように思いました。
顧客側からすると「高い・おいしくない・選択肢が少ない」、提供側としても「儲からない」と、せっかくの志なのに関わる人があまり幸せじゃないような構造に見えました。
その課題に対してチャレンジしてみよう、ということでSEE THE SUNの名前でヘルシー食品ブランドを立ち上げたんです。
―改めて、SEE THE SUNの事業概要を教えていただけますでしょうか?
ミッションとしては「テーブルを創るすべての人を幸せに」と掲げています。
事業として優先して取り組んでいるのは「テーブルの上の課題」を解決することで、アレルギーがある人も、ヴィーガンの人も、健康意識が高い人も、そうでない人も、みんなが笑って美味しく食べられる食品のプロダクトを作りました。特に今現在はヘルシーでサステイナブルなプラントベースフード(植物性食品)に注力していますが。
でも、その裏側にはまだまだ大きな課題感があると。このままいくと提供事業者側が疲弊してしまって、今のような食生活を送れなくなるという危機感を持っているので「テーブルの裏側 = 食の事業者側の課題」を解決するための活動もしています。
―社会的にも意義の大きい事業ですね。
「食の課題解決」の文脈で言うとそうなんですけど、やっぱりシンプルに「楽しく笑って食べることの方が素敵だよね」みたいな世界観を創っていきたいんです。
もちろんストイックな食生活が好きな人は、それはそれで素晴らしいと思うのですが「健康の求め方」も自分らしくあっていいと思ってるんですよ。そういったブランドコンセプトもあるので「ナチュラルに自分らしく」というカルチャーを発信する意味も込めて、葉山にオフィスを構えています。
―ロケーションも建物もとても素敵ですが、そういった想いがあったんですね!
そうです。あえて葉山に住んでいる方って「自然体で、他人にも厳しくなくて、自分らしく生きてる人が多い」と思いまして、コンセプトとぴったりの場所だな、と。
―今は森永製菓社の関係会社という立て付けですが、なぜ関係会社として立ち上げたんですか?
この事業の根幹の一部はとある農家さんの技術を使っているのですが、何人かの農家さんに会って話してみたら、すごく未来視点を持ってて、熱くて、骨のあるような凄い人がいっぱいいたんですよ。「日本にもこんなイノベーターがいるじゃん!」って。
それで当時の社長に「この農家さんたちと一緒にやりたい」って話を持っていったところ「フラットな関係で共創していくには別会社化したほうがいいのでは」とアドバイスをいただき、関係会社として取り組むことになったんです。
―フラットにいろんなプレイヤーさんと接するために、ですね。
それと、そのアドバイスをくれた当時の社長も、過去に子会社社長を経験していて「その経験がとても役に立った」と話していまして。それもあって「若手に経営目線を持たせるためにも関係会社社長をやらせたい」って思いはあったんだと思います。
―過去にこういった経緯で新しい関係会社を設立した実績はあったんですか?
ないと思います。先に社長が背中を押してくれたんですけど、我ながらするっとした通し方だったと思います。「別会社にする意味はあるのか?」という意見もありましたが、「正解はないからいいじゃんやろう!」みたいな感じでなんとか通りました。
―アクセラレーションプログラム起案の話でもありましたが、上手く通すためのポイントはあるんですか?
「関係会社を作る前提で論点設定して、その手前の議論にならないようにする」とか、テクニックはいろいろ使ったかもしれません。そこは私だけの力ではなくて、社内に各方面のスペシャリストの心強いサポーターがたくさんいたことが大きいです。
過去のアンテナショップ立ち上げで社内を泣きついて回った経験によって「誰に何を相談すればいいのか」が分かっていたので、ツボを抑えて進めることが出来たと思います。
―社内でのネットワークと信頼がなせる技ですね!
いえいえ、あとは、当時の社長も本当にポロッと「別会社」と言っただけな気がします。それをすかさず「やります! やりたいです!」と拾って、次に社長に会う際には、会社設立前提のスケジュールを組んで持っていきました(笑)。
―「自らの起案」ではなく「いただいたアドバイスを実行した」」のですね(笑)。
そうです。そう考えると、通すためのコツは「真正面から向き合いすぎない」ってことですね(笑)。
―関係会社社長の立場になって、心境としてはどのような変化がありましたか?
振り返ったら、森永製菓にいたときは「自分が成長したい」とか「会社のビジョンと自分のやりたいことのベン図を重ねる」みたいなことばっかり考えてたのですが、今は「自分のやりたい課題解決のために、“大企業森永製菓” のリソースをどう使うか」というように大きく変わりました。
―シンプルに課題と事業に向き合っている、というイメージですね。
本当にそうで、視点が完全に「外」になるんです。
そうしてると、どんどんいろんな社会課題が見えてきて「この課題もあの課題も解決したい、そのために私は何が出来るんだろう、私で出来ないならこの人たちを巻き込まなきゃ」みたいな思考をずっと繰り返してるイメージです。そうやってると「自分が成長したい」なんて思う暇がなくて「やりたいことのために成長しなければならない」と、順序が逆になっている。
―なるほど。意思決定の質の面でも変化がありましたか?
それが1番変わったポイントで、やっぱり社内にいるときは「社内」のことを考えて意思決定してたんですよ。
でも外に出てからは「社会」のことを考えて意思決定をしている。本当はそれが社内にいても出来なきゃいけないんですけど、やっぱり私は出来てなかったと思いますね。
―今後、SEE THE SUN社としてチャレンジしていきたいことはありますか?
私たちなりの価値の出し方で「食の社会課題」にアプローチしていきたいです。
食品業界の全体像を考えていくと「農家さんがいて、原料メーカーがあって、製造加工があって、流通があって、やっとお客様に辿りつく」という構造の中で、川上か川下だけに取り組んでいるスタートアップはあるのですが、川中である「製造・加工」が装置産業であることもあって、スタートアップには手を出しづらい部分も多いのではないかと思います。
私たちとしては、その大部分に関わっている大企業から外に出て俯瞰して見れるからこそ、出来るチャレンジがあるんじゃないかな、と思っています。
―大企業の力も使いながら動かしていくという考え方ですか?
そうです。大企業の力学を理解した上で外に出ているからこそ「どのように動かしていったらより大きなインパクトを生めるのか」を考えられるような気がしています。
食品業界って歴史も長いので、昔からのビジネススキームが凝り固まりがちです。そんな中、日本はこれから人口が減るので、このままだと縮小する市場の奪い合いで疲れてしまわないか、と。だから、みんなで視座を上げて、力を合わせて、未来を考えていかないと、と。大きすぎる課題ですが、そこは各社さんの力も借りてチャレンジしていきたいですね。
社内起業家としての働き方
―「社内起業家としての働き方」についても伺っていきたく思いますが、大企業関係会社だからこそのメリットとデメリットと感じる部分を教えていただきたいです。
1番のメリットと言っていいのか分かりませんが、私は会社員なので「毎月給料が入る」ことは正直ありがたいです。
ただ、これには両面あって、だからこそ「甘い」とか「ハングリー精神に欠ける」とか言われることもあるんですけど、「じっくりと本質について考えることができる」とポジティブに捉えています。私はせっかちでかつ、おっちょこちょいな性格なので、焦って必死になりすぎると、早合点の連続になりそうで。
―安心と覚悟が背中合わせになっている感覚ですか?
私の中では「起業家にとっての覚悟って何だろう」ということについて、まだ答えが出ていません。
昔、カリフォルニア出身の方に英会話を習っていたんですけど「英語で“覚悟”なんて言葉はない」って言われて。たとえば、シリコンバレー。実は「覚悟」なんて概念はなく、ただ「チャレンジが当たり前でチャレンジしない方がダサいだけ」だけだと聞いてびっくりしました。
―なるほど。日本だと重要視されがちな概念ですよね。
なんか日本だと、いきなり「切腹するくらいの勢い」でやらせるじゃないですか(笑)。企業内起業の場合、土壌も準備出来てないのに「いきなり全てを捨てて戦に行け!」みたいなのを感じるときもありますね。私としては、あまり覚悟を強要せずに「普通にチャレンジしようよ」と思ってます。もっと普通にどんどんチャレンジして、どんどん失敗して、そこで学べばいいじゃん、っていう風にしないと誰もやらないのではないかと……。
―まずは覚悟を試される意思決定フェーズがあって、そこを乗り越えてからのチャレンジになりますもんね。
そうなんです。新規事業に限らず新商品の起案とかでもそうなんですけど、まずは「被告人席」みたいなとこに立たされて、覚悟を問われて、詰められる(笑)。
私は、鈍感力高く、極力正面から闘わないよう、スルスルっ抜けたいタイプなんですけど、特に真面目な人だと「覚悟も強要され、さらに報告もしっかりし、矢面に立ち、処刑される」みたいな感じの人も多いから、そりゃ誰も続かなくなるよね、って思うんです。
―金丸さんは自然体で楽しみながらチャレンジしてそうですね。
そうなんです。楽しいです! たぶん私はおめでたい性格だから「目の前にあることと自分のミッション感を合わせること」が得意なんですよ。例えば今で言うと「大企業と一緒に社会的影響をも与えるような仕事」が出来ているとしたら、そのこと自体がとても幸せだなー、と。
なので、プレッシャーを感じて苦しみながら、ではなくて、前向きに楽しくやれていますね。
―図太いですね(笑)。もともとそういう性格だったんですか?
何かあっても、たいていのことで死ぬことはないと思っているのもあります。
―本体に対しての還元もイメージされていますか?
基本的にはPLで見られるので、もちろん収益面での成長も目指すんですけど、その「間のプロセス」っていう部分もしっかりリターンしていきたいですね。大きな売上が早く欲しいならM&Aした方が早いと思いますし、M&Aとか調査・コンサルティングとかでは見えてこないような「実際の触ってみて分かったこと」みたいな部分の知見も還元していきたいです。
―社内起業ならではの価値の返し方ですね。金丸さん個人としては、今後どのようなキャリアビジョンを描いていますか?
私は浮草系なので、「キャリア」ビジョンとしては本当にないんですよね(笑)。それよりも「自分が生きてる中で、社会に伝えたいこと、今やるべきこと、できること」を考えていて、今の時点の自分で取り組める社会課題の解決をしっかりやっていきたいな、という思いです。
―金丸さんからみて「社内起業に向いている人」の条件は何ですか?
いつも言ってるのですが「 “樹海” を楽しめる人」ですね。日々のハプニングを楽しめて、むしろ「分かんないから面白くない?」って普通に笑いながら言えるような人。そして、失敗しながらも、そこから貪欲に何かを学ぶことが出来るような人ですね。
―その通りですね。その素養って後天的に会得できると思いますか?
私としてもそれは永遠のテーマで、ずっといろんな人にインタビューしてるのですが、明確な答えは見えていないです。
アクセラレーションプログラムの活動の一環で、支援先に社内の人間を1年間出向させたことがあるんですけど、そのベンチャー留学に行った子は、行く前と行った後で大きく変わった、ということはありました。
どちらにせよ「利益だけじゃなくて、その事業を通して究極的に何がしたいのか」っていう思いがあって、そこに対して自分で興奮できないと辛いシーンはあると思いますね。
社内起業家へのメッセージ
―最後に、日々奮闘している社内起業家の方々、新規事業にチャレンジしたいと思っている人たちへのメッセージ、応援のアドバイスを頂戴できればと思います。
特に新規事業においては、最初に描いた通りにいくことなんて絶対にないので「いろいろと起きる出来事を楽しみましょう」って思います。
あとはそれとセットで「全ては勉強、もう死ぬまで勉強」というスタンスも大事にして欲しいです。「机上の学問をしなくてはならない」という意味ではなく、いろんなトラブルは起こりますけど、それを溜め込んだりせずに受け止めて「全部自分の勉強だ」という気持ちで頑張って欲しい、という意味です。どうやったって命までは取られないですから。
また、これからの日本は激変するでしょうから、10年後20年後のことは「その時にやれば良い」だともう間に合わない、今すぐやらないといけない時代だと思います。もちろん、今の数字もとても大切なので、バランスがとても難しいと思いますが、上層部の方には「未来のことを考えている若い人たちの芽を摘まずに応援してください!」と思います。
私としても「次の若い人たちが思いっきり暴れられる環境を作ってあげること」が責任だと思っていまして。ただ、「どうやればその内発的動機を動かして、伸び伸びと好きにやってもらえるのか」ということはずっと模索中です。大企業の中の若手って、いざその挑戦の機会が来ても、萎縮された思考のままで、いきなり「さぁ未来に向かって内発的動機を活かして取り組め」と言われることも多いと思っていまして。
挑戦を応援するための環境は出来るだけ用意し、特にこれからの若い世代の人は「樹海の中の冒険を楽しんでほしい」と思います!
編集後記
葉山にある古民家風の本社オフィスでインタビューをしましたが、土地のカルチャーのイメージそのままの「自然体でいてしなやかに強い」事業と社内起業家だと感じました。
「社内での新しいチャレンジを上手く進めるコツ」などのテクニカルなTipsも満載でしたが、いわゆる資本主義的な競争から一歩離れた、その独特の価値観から学べることが多い内容だったかと思います。
独特の視点を持ちながら「食」の領域の社会課題を解決するチャレンジを、今後も注目して見守りたいと思います。
取材・編集・構成:加藤 隼 撮影:川上 裕太郎 デザイン:古川 央士
株式会社SEE THE SUN
金丸 美樹
1998年に森永製菓株式会社に新卒入社し、マーケティング・広告関連の業務を経験。その後、インバウンド対策の新規事業を主導し、アンテナショップの立ち上げにも参画。 新規事業を中心に取り組む部署に異動した後、スタートアップ支援事業に従事する中で、アレルギー対応食品・プラントベースフード(植物性食品)などに興味を抱き、2017年に株式会社SEE THE SUNを設立し、代表取締役社長に就任。