Interview

【カワサキ】社内の反対、白紙化。逆境を乗り越えた三輪ビークル「noslisu」誕生秘話

【カワサキ】社内の反対、白紙化。逆境を乗り越えた三輪ビークル「noslisu」誕生秘話

世界のバイクメーカーのなかでも硬派なブランドイメージを確立し、熱狂的なファンの多いカワサキモータース株式会社(2021年に川崎重工業株式会社の100%子会社として分社化)。

そんなバイクのカリスマブランド「カワサキ(KAWASAKI)」が初めて手がけた「noslisu(ノスリス)」は、自転車の気軽さとオートバイの走行性を兼ね備えた、まったく新しい電動三輪ビークルだ。一見「カワサキらしからぬ」ユニークな見た目と「カワサキらしい」乗り心地で話題を呼び、メディアでも大きく注目された。

そんな「カワサキ」の新しい1ページを刻んだ新規事業「noslisu」は、一人のベテランバイクエンジニア、石井宏志氏による顧客インサイトの発見からスタートした。しかし開発の過程でプロジェクトが一度白紙になるなど、実現までにはいくつもの困難があったという。

そうした逆境のなか、前例のない取り組みをいかにかたちにしていったのか。大企業の社員が社内新規事業を推進するための心構えから、具体的なノウハウについてまで、プロジェクトリーダーでもある石井氏に聞いた。

プロジェクト化のきっかけは「“おっちゃん”たちとの立ち話」

電動三輪ビークル「noslisu」。半世紀以上もオートバイをつくり続けてきたカワサキが、初めて開発した「自転車」だ。

手がけたのは、カワサキモータース株式会社で、当時、次世代型モビリティの開発を推進していた先行開発チーム。川崎重工業でオートバイ開発の最前線を担ってきた技術者・石井宏志氏をはじめとする数名のチームが主導し、構想から数年の歳月をかけてかたちになったプロジェクトだ。

石井:私は入社から約20年間、オートバイの開発に携わり、フラッグシップモデルや世界選手権で使われるレースマシンのメインフレームなどを担当してきました。

その後、2018年に新設された先行開発担当部門の課長になり「4〜5年先の量産を見越して、新しい乗り物のコンセプトと試作車両をかたちにする」というミッションが与えられたんです。

その時に動かしていた企画のうちの一つが、noslisuの原型となる三輪ビークルでした。前2輪、後1輪の基本設計や仕組みなどはその時点で固まっていましたが、当初は自転車ではなく小排気量のオートバイを想定していましたね。

石井宏志氏とnoslisu(プロトタイプ)

当初の三輪プロジェクトは先行開発担当部門が手掛ける案件の一つに過ぎなかったが、ある出来事をきっかけに石井氏のなかで一気に優先順位が高まったという。

石井:とあるホームセンターの駐車場にイタリアの高級な三輪オートバイが止めてあって、しばらく眺めていました。そうしたら、僕のことをオーナーだと勘違いした50、60代の“おっちゃん”数名が話しかけてきて。

みなさんはそこから少し山を登った場所に住んでいて、いつも移動手段に困っていると。徒歩や普通の自転車では遠いし、自動車は渋滞するのが嫌だ。2輪のオートバイは危険だからと家族に止められる。

こういう三輪の小さい乗り物なら家族も説得しやすいし、自分の両親に何かあった時でもすぐに駆けつけられるから、ぜひ買いたいというんです。

僕も勢いづいて「価格はどれくらいがいいか」「スピードなど、どの程度の性能が必要か」など、その場で市場調査をしていくうちに、これは確かな需要があるなと。

その頃、いろんな試作車をつくっていたんですけど、すべて速かったり高性能だったりと「カワサキ」らしかったんです。でも、そういうオートバイでは、社会のより多くの人たちの需要をキャッチできていなかったんだなと痛感しました。

もっと世の中のためになる、幅広い年齢層の方が一人で気楽に乗れる乗り物をつくれたら、カワサキにとっても新しいビジネスになるんじゃないかなと思ったんです。

開発過程で白紙化も、本社の新規事業案件に採択され復活

思わぬかたちで地方部における移動の課題を知り、三輪ビークルのニーズとやりがいを強烈に感じた石井は、すぐに複数台の試作車をつくる。

「最初はひどい出来だった」というものの、調整と試行錯誤を重ねて快適かつスムーズな走行性を実現。社内での試乗会でも好評を得て、いざ量産プロジェクトとして本気で検討しようという段階になったところで思わぬアクシデントに見舞われる。

石井:諸事情により、プロジェクトそのものがストップしてしまいました。理由は詳しく明かせませんが、ともかく予算から何からすべて止められてしまった。それでも「どうしてもやりたい」と上司に食い下がったら「少額の費用なら使っていい」と言ってもらえました。

石井氏はそこであらためて、車体のコンセプトから練り直す。社内の試乗会では評判が良かったものの、オートバイでは女性や若年層のニーズを取りこぼしてしまう懸念を感じていた。幅広い層の移動の問題を解決するために浮かんだのが「自転車」という発想だ。

石井:会社の近くにちょうど、カスタムオーダーの自転車をつくってくれるお店があったので、設計図を見せながら「こういう三輪の自転車をつくりたい」とお願いしました。ご主人も前向きに協力してくれて、確保していた少額予算内で試作車をつくってくれることになったんです。

そんな折、川崎重工業(以下、本社)で新規事業の社内公募制度「ビジネスアイディアチャレンジ」が立ち上がる。

当時のモーターサイクル事業部門に属していた石井氏は、これに応募。審査の最終段階のタイミングで最初の試作車が完成したことも有利に働き、1号案件に選出される。晴れて、ふたたびプロジェクトが動き出した。

石井:モーターサイクル事業部門でいったんは頓挫した事業案を、本社の新規事業コンテストに持っていき強引に復活させたということで、当初、社内の上長たちのなかでは歓迎ムードではありませんでした。

仲間は、一緒に三輪プロジェクトを推進していたメンバー数名だけで、時間もリソースも限られるなか土日に集まってプロジェクトを進めるしかない時期もありましたね。ただ、試作車両を見てもらったり、PoCの結果が周知されたりしていくなかで社内の応援ムードも徐々に高まっていきました。

あと、先ほどの「ホームセンターのおっちゃん」の話って、僕の定番トークなんですよ。こういう方々を助けたい、って言われて否定する人はいない。そうやって徐々に味方が増えていきました。

また、「ビジネスアイディアチャレンジ」を運営する本社イノベーション部のバックアップにも助けられたという。

石井:たとえば、神戸市をはじめとする自治体など、社外の方とつながる機会をつくってくれました。そこで貴重な意見やアイデアもいただけましたし、従来のカワサキにはなかった自転車の部品の入手ルートを開拓できたことも、イノベーション部の協力があってこそでしたね。

また、僕は設計一筋でやってきたので、法務や財務の知識はありません。社外の取引先との契約や手続き一つとっても、サポートがなければ立ち行かなかっただろうと思います。

ちなみに、本社イノベーション部は東京にあり、僕たち開発部隊は兵庫県明石市の工場で仕事をしていました。そのため、開発そのものに関しては定期的な進捗報告が必要なくらいで、適度な距離感を保ってくれました。非常にやりやすかったですね。

当時は5人くらいのチームで、ウェブサイトを立ち上げたり、SNSを運用したり、試乗会をやったり、事業にとってよかれと思ったことはなんでもスピーディーにやっていました。必要なサポートをしてくれつつも、ある意味で出島のような環境をつくってくれたことにも感謝しています。

オートバイ開発の技術と知見が詰まった、カワサキらしい自転車

約130年の歴史を持つ川崎重工業だが、これまで自転車を開発した事例はない。しかし、オートバイづくりで培ってきた技術の積み重ねは、noslisuにも大いに生かされているようだ。

たとえば、オートバイは車体とライダーの身体を傾ける(リーンさせる)ことで直立状態からでもスムーズにカーブ走行ができるように設計されているが、noslisuにも同様の技術が用いられている。

石井:オートバイは車体を倒したときにハンドルが自然と切れることで、スムーズな旋回と安定性を実現しています。これはじつはすごく複雑な物理現象で、同様のフィーリングを三輪で実現しようとすると、かなりハードルが上がります。

そこを突き詰めすぎると構造が複雑になり、車体も重くなりますし、コストがかかって価格も上がってしまうんです。多くの人に気軽に乗ってもらうには、シンプルで軽くて安いものにしなくてはならない。この点は苦労しましたね。

とはいえ、基本的なアプローチはオートバイと変わらない。そこは石井氏の知見、そしてカワサキのリソースをフル活用することで最適解を導き出していった。

石井:私自身、過去にレースマシンを手掛けるなかでオートバイの複雑な物理現象を解析してきました。また、量産機種から最高クラスのスペックのマシンまでつくらせてもらったことで、あらゆる車体に求められる特性や、転倒リスクが生じた際にどのような挙動を出すべきかの理論も頭に叩き込まれています。

また、カワサキモータースという会社には凄腕の「評価ライダー」がいて、どんな車両でも的確な評価をしてくれます。noslisuの開発でも市場で高い評価を得ているNinja 400の量産開発を担当しているベテラン評価ライダーが試乗を繰り返し「もっとこうしたほうがいいよ」と、改善点をインプットしてくれました。

僕らはそれを理論に置き換え、車体に反映していく。じつはオートバイの開発とまったく同じことをやっているんです。そういう意味では、noslisuは非常にカワサキらしい自転車と言えるんじゃないでしょうか。

noslisu(プロトタイプ)

大企業で新しいものを生み出すには、それなりの「覚悟」がいる

2021年5月にはクラウドファンディングサイト「Makuake」で電動アシスト自転車仕様50台と、フル電動(電動三輪車)仕様50台の合計100台を限定販売し、即日に完売。翌年に事業化が決定し、2023年5月に販売がスタートした。

三輪電動アシスト自転車の「noslisu」、フル電動で普通自動車運転免許が必要となる「noslisu e」の2タイプを展開している。

石井:販売1か月の時点でまとまった台数が売れており、noslisuのコンセプトが受け入れられていると感じます。やや意外だったのは、想定よりも年齢の高い方々にも買っていただいていること。

Makuakeで先行販売したときは「noslisu e」購入者の平均年齢層は40代、「noslisu」購入者の平均年齢層は50代でしたが、量産販売では50代よりさらに上の方々も多かったんです。まさに、僕がホームセンターの駐車場でお話を伺った、移動手段に悩んでいた方々のような層に、しっかり届いていることを再確認できました。

しかし、これを「新しい移動手段」として社会に根付かせるためには、まだまだ多くの課題がある。

石井:需要があることは間違いない。ただ、市場に出してみると色々な方から多くの意見や要望もいただいています。まだまだ未完成な部分もあるため、市場の声を反映し、より多くの方に気軽に乗っていただけるように改善していきたいです。

振り返れば、開発は決して順風満帆ではなかった。いったんはプロジェクト自体が頓挫、「ビジネスアイディアチャレンジ」を経て本社預かりのプロジェクトとして復帰後も社内の風当たりは強かったという。それでも、諦めるつもりは微塵もなかったと石井氏は言う。

石井:ビジネスアイデアチャレンジには上長に相談せずに応募しました。会社員としては褒められたやり方ではないかもしれないけど、当時はそれくらいしか続ける手段がなかった。

当然、カワサキモータース社内での風当たりは強かったです。そもそも「なぜカワサキが自転車を出すんだ」という反対意見も根強かったですからね。

ただ、批判されてやめるくらいなら、最初からやらないほうがいい。もし、会社のなかで実現できないなら、独立してでも事業化を目指すくらいの気持ちがないと、noslisuのような前例のないものはつくれなかったと思います。

われわれのケースに限らず、大企業で新規事業を本気でかたちにしようと思うなら、それくらいの覚悟は必要なのかもしれません。

大企業内における新規事業開発は、さまざまな面で大変な部分も多い。とはいえ振り返ってみて、最終的には一番効率の良い事業立ち上げの方法だったとも石井氏は感じている。

石井:もし会社を辞めてベンチャーでやるのと、企業内新規事業でやるのとどちらが良いかと聞かれたら、僕は圧倒的にいまのほうが良いと答えます。扱えるリソースや資産が全然違うので、そこには本当に助けられました。

恵まれていたなとすごく思うのが、チーム内に僕より少し年上のベテラン評価ライダーがいて、彼が僕の精神安定剤なんですよね。辛いことがあっても飲み行こうぜって言って話していたらなんとなく楽になる。そういう人の存在もすごく重要だと思いますね(笑)。

取材・執筆:榎並紀行(やじろべえ株式会社) 編集:佐々木鋼平 撮影:西田香織

石井宏志-image

カワサキモータース株式会社

石井宏志

2002年、川崎重工業株式会社に入社以来、一貫してモーターサイクルの開発に携わる。欧州向けの大型スポーツバイクやフラッグシップモデルのメインフレームなど、入社当初から重要部品の開発を担当。その後、全日本ロードレース選手権やスーパーバイク世界選手権に出場するスーパーバイクの開発を経て、2011年からは「Ninia H2」車体の開発を担当。その後、次世代のモビリティの開発を目指す部門で、マルチホイールビークルの先行開発など、さまざまなプロジェクトを推進してきた。