Interview

【三菱地所】新規事業を立ち上げ、子会社社長に。旅アプリ「膝栗毛」代表・米田氏に聞く

【三菱地所】新規事業を立ち上げ、子会社社長に。旅アプリ「膝栗毛」代表・米田氏に聞く

2009年にスタートし、2021年にリニューアルされた三菱地所の新事業提案制度「MEIC(Mitsubishi Estate group Innovation Challenge)」。

これまでに130件以上の応募があり、ジムの都度利用サービス「GYYM」や中古オフィス家具の再販事業「エコファニ」など、三菱地所グループの収益多角化や本業強化につながる新規事業がいくつも実現。社内から毎年のように新しいイントラプレナーが生まれている。

知らない街を歩いて巡る歩き旅サービス「膝栗毛」を新規事業として提案し、2021年11月 に設立された株式会社膝栗毛の代表取締役を務める米田大典氏も、そんなイントラプレナーの一人だ。

それまで大企業の一社員としてキャリアを築いてきた米田氏は、なぜ社内起業に挑戦しようと思い立ったのか。一社員から社長に立場が変化したことによる業務上や心境の変化とは? 「社内起業」のあれこれについて米田氏に詳しく話を聞いた。

まちの価値は「人の交流や賑わい」にあるという確信

「膝栗毛|HIZAKURIGE」(以下、膝栗毛)は、「身近なまちの、何気ない道を、エンターテイメントに」をコンセプトに、地域の魅力を再発見できるコンテンツを提供する歩き旅アプリ。

ユーザーはアプリ上に現れるマッピングされたルートを歩きながら、地域のストーリーを「GPS連動型音声ガイド」で聞いたり、観光スポットなどの情報を「膝栗毛マガジン」で閲覧したりできる。歩き旅のルート上にある提携店舗・施設「膝栗毛茶屋」で、地域の人やコミュニティとつながれることも特徴的だ。

膝栗毛|HIZAKURIGE

現在は各地でアプリと連携したイベントを開催するなど、地域に人の流れと賑わいを創出する仕掛けを次々と繰り出している。

このサービスを運営する株式会社膝栗毛は、三菱地所株式会社が新事業提案制度を通じて2021年に立ち上げた社内ベンチャーだ。

代表取締役を務める米田大典氏は、三菱地所に入社以来、不動産物件のプロパティマネジメントやリーシングと呼ばれる賃貸物件への企業誘致に長く携わってきた。

これらの業務を通じて、ビルや建物などのハード開発に頼るのではなく、人や文化などのソフトを柱としたまちづくりに関心を持ったことが、のちの社内起業につながる原点になったと話す。

米田:私も三菱地所に入社前は、デベロッパーとして大きな建物を建てることがやりがいになるのだろうと思っていました。

でもハード開発以外の業務を担当することになり、オフィスや商業施設を利用する人たちと接する立場になったことで、「その場所でどんな人が働いたり、遊びに来たりしているか」「どんなイベントや店舗運営が行われているか」がまちのイメージやブランドに大きく影響すると気づいたのです。

そして自分も建物という箱そのものではなく、そのなかで生み出される人の交流や賑わいによって価値を創り出す仕事がしたいと考えるようになりました。

米田大典氏

その後大阪へ転勤した米田氏は、大阪駅前にあるグランフロント大阪のリーシングを手がけたのち、同物件のブランディングやプロモーションを手掛ける一般社団法人「グランフロント大阪TMO」に出向。

ここで初めてイベントの企画などを経験し、「やはりまちづくりはソフトが重要だ」との確信を得る。

社内起業を促す「裏方」から「実践者」へ

2018年に三菱地所の本社に戻ってからは、丸の内エリアのインキュベーション施設の運営、スタートアップの事業支援を担当する傍ら、有楽町エリアのリブランディングプロジェクトに参画し、会員制インキュベーションオフィス「SAAI Wonder Working Community」の企画・立ち上げを担当。

このオフィスは「おもいつきを、カタチに」をコンセプトに、起業したい人、企業に勤めながら新しいことにチャレンジしたい人、社内起業家を集め、結びつきを強めることで事業創造につなげるためのもの。その過程で米田氏みずから新事業にチャレンジする意思を固めたという。

SAAI Wonder Working Community

米田:私が「SAAI」を企画したのは、有楽町でチャレンジする人が増え、有楽町から新しい事業がどんどん生まれれば、このまちはもっと面白くなると考えたからです。

有楽町を含む大丸有エリア(大手町・丸の内・有楽町)に集まるワーカーは28万人に上り、その大半は大企業に勤める会社員。

会社から「新しいアイデアを出せ」「新しいビジネスを立ち上げろ」と迫られながら、そのマインドを持つのに苦労している人たちが多いので、新事業創出へのハードルを下げてチャレンジを後押しする場や環境を提供したいとの思いから企画が出発しました。

ところが具体的にどのようなプログラムやコミュニティが必要かと考えると、明確にイメージできない。私には事業や会社を立ち上げた経験がなかったからです。

このままでは自分の考える企画は机上の空論になってしまう。ならば三菱地所にも新事業提案制度があるので、私も応募して事業創出にチャレンジしようと決めました。

最終審査を通過するも、経営会議で事業化に「待った」

米田氏には以前から温めていた事業アイデアの種があった。

それが「地方を活性化するまちづくり」だ。滋賀県の田舎で生まれ育ったという米田氏にとって、全国のローカルニュースでたびたび見聞きする地方の現状は放ってはおけないものだった。

米田:人口減少や過疎化によって、歴史的価値のある建造物や由緒あるお寺などの文化財が維持できずに取り壊されたり、美しかった田園風景が荒廃したりと、地域の貴重な資源がどんどん失われている。

この状況に歯止めをかけるには、地方に人の流れを作り出し、訪れた人たちにその土地を見て、体験して、知ってもらうことが必要ではないか。

それによって「いまここにあるものを残したい」と思ってくれる人が増えれば、地方の街並みや風景を守ることにつながるはずだと考えたのです。

そんな思いから生まれたのが、歩き旅アプリ「膝栗毛」の原型となるアイデアだった。東海道五十三次に着目したのは、会社の先輩女性たちと雑談をしていたときに、「趣味で東海道を歩いている」と聞いたのがきっかけだそう。

米田氏自身は自転車が趣味で歩き旅の経験は少なかったが、「自転車なら通り過ぎてしまう場所も、のんびり歩くことで色々な発見ができて面白そうだ」とピンときた。

東海道は全長500km、53の宿場町があり、スマホアプリを活用してユーザーの移動を促せば、日本各地に人の流れを生み出せる。

日本橋の次は品川、その次は川崎とルートが決まっているので、それを一つずつクリアしていくゲーム的な楽しさもある。

そこで先輩女性たちの協力を得て、アイデアをビジネスプランに落とし込み、2019年度の新事業提案制度にエントリー。見事に最終審査を通過した。

ところがここで予想外の事態が起こる。社内審査を通過した後の経営会議で、事業化の承認が下りなかったのだ。

自社の領域に重なる「BtoB」にビジネスモデルを転換

「投資ジャッジセクションに話を通したり、経営層に事前レクをしたりと、ちゃんと根回しはしたつもりだったんですけどね」と米田氏は苦笑する。

米田:ネックになったのはマネタイズの手法でした。じつは最初の企画は、BtoCのサブスクリプションサービスとして提案したんです。

しかし経営層から「ビジネスモデルの再検証が必要」と判断され、判断材料を揃えた上で再提案することを求められました。それまで三菱地所には観光・旅行サービス、BtoCサービスの実績がほとんどなかったため、経営層もすぐには事業の可否を判断しづらかったのだと思います。

そこでBtoBへの転換も視野に入れつつ、ビジネスモデルを検証し直すことに。

会社と交渉してアプリ開発の予算だけはなんとか承認を取り付け、ベータ版を開発してテストマーケティングを実施。ニーズや費用対効果の見極めを行い、経営層を説得する材料を揃えることに注力した。

再検証期間として会社と約束したのは8か月。「ベータ版とはいえアプリ開発に4か月は必要。タイトなスケジュールのなかでなかなか細部まで検証できないジレンマもあった」と振り返る。

こうして苦労の末に練り上げたのが、全国の自治体や地域の企業・団体を顧客としてマネタイズを図る事業プランだった。

地域に眠っている観光資源や地域資源を掘り起こし、その土地の魅力を発信して人の流れを呼び込むコンテンツやサービスを提供。

そのプロデュースからコンテンツ制作までを膝栗毛が受注することで売上を作るビジネスモデルを構築した。

そして最初の経営会議から8か月後、経営層の前で再提案にチャレンジ。今度は無事に事業化の承認が下り、2021年11月に株式会社膝栗毛が設立された。

当初は三菱地所の100%子会社としてスタートし、2022年11月にはJTBグループからの出資も受け入れ、運営されている。

社内の一部署ではなく、子会社社長だからこそのメリット

大企業の一社員から、ベンチャーの社長へと、米田氏の立場は大きく変わった。

とはいえ、株式会社膝栗毛に所属するのは米田氏だけ。事業が軌道に乗り、法人として組織体制が整うまでは人を雇用すべきでないとの親会社の判断もあり、たった一人の船出となった。

米田:会社を設立してまず着手したのが、一緒に仕事をしてくれるメンバーを集めること。社員は雇えないので、社外の人たちに広く声をかけて、業務委託するかたちでチームを組成しました。

私はテクノロジーのことはわからないし、クリエイティブワークもできない。それに、じつは結構な人見知りでもある。

だからエンジニアリングができる人やUI/UXデザインに優れたプロダクトを企画できる人、地域とのネットワークづくりが得意でコミュニケーターになってくれる人を探しました。

幸いなことにグランフロント大阪やSAAIのプロジェクトを通じた人脈があったため、仲間づくりは比較的順調に進んだ。

他にPRやマーケティングのプロにも加わってもらい、米田氏を含めた5人をコアメンバーとしたチームで「膝栗毛」の事業が始動した。

また現在は共同出資者となっているJTBグループと業務提携を結ぶなど、外部の協力者を増やしていった。

アプリユーザーも順調に増え、2023年5月末時点でダウンロード数は8万。東海道沿いの人口規模や旅行率を踏まえて、最終目標は170万ユーザーに設定している。

「まだまだ目標達成は遠いので、ユーザーに響くコンテンツやプロモーション施策をもっと打ち出していきたい」と米田氏は規模拡大に向けて意欲を見せる。

大企業で新事業を始める場合、法人化せず社内の一部署として立ち上げる選択肢もある。だが米田氏は「三菱地所とは別会社、三菱地所のグループ会社というかたちにして良かった」と話す。

米田:組織の一社員ではなく、会社の代表として相対できるので、地方の行政や企業関係者とお会いしたときも、私が意思決定者だと何も言わずともわかってもらえる。それは信頼構築につながりやすいと感じています。

それに地方では、大手デベロッパーの看板がマイナスに働くこともあります。大手デベロッパーを名乗る人間が突然地元にやってきたら、地域の人たちは「大規模なショッピングセンターをつくるんだろうか」「新しいホテルでも建てるんだろうか」と不安になり、「地元の商店街や旅館が潰されるかもしれない」と警戒する。その誤解を解くのは容易ではありません。

でも膝栗毛の名刺を渡して、「地域を活性化させる歩き旅アプリを運営する会社です」と伝えれば、相手もすぐにこちらの立場を理解してくれる。これは別会社にしたからこそのメリットです。

その事業アイデアは本気で実現したいことか

もちろん意思決定者として、あらゆることを自分で決断しなければいけない大変さはある。そもそも経営者は孤独だと言われるが、米田氏の場合は部下もなく、本当の意味で全てを一人で背負わなければいけない。だが本人は「自分の責任範囲が広いほどやりがいにつながる」と感じている。

米田:関西支店にいた頃は、本社に比べればはるかに人員も少なく、自分がやれることの範囲も広かった。マーケットも同じくほどよいサイズ感で自分のプレゼンスを認識しやすかった。

でも東京の本社に戻ってきたら、組織もマーケットも大きすぎて、自分が社会に対して価値を提供できている感覚が薄れていく気がしたんです。

だから新事業提案制度に応募したときも、自分が会社の代表として事業全体にコミットし、すべてに責任を負う立場でビジネスをやることにこだわりました。

三菱地所の新事業提案制度からいくつも子会社が生まれているので、まったくのゼロから会社を立ち上げるより楽なのだろうと思われるかもしれません。

しかし大企業の子会社だからこそ、親会社からは「なぜ別会社にする意味があるのか」を徹底的に問われるし、経営層を納得させるまでのハードルは高い。

それでも最終的に膝栗毛を法人化できたのは、私が新事業に対して責任を持ちたいという強い意思を示し、それを理解してもらえたからだと思います。

責任感が強ければ事業に対する熱量も高まり、たとえ苦しい場面があっても踏ん張れる。それが米田氏の実感だ。

これから社内起業を目指す人たちにも「自分の事業アイデアが本気で実現したいことなのかをあらためて考えてほしい」とアドバイスを送る。

米田:単に「会社をつくってみたい」とか「これをやれば儲かりそうだ」といった動機だと、必ずどこかの時点でしんどくなる。

困難を乗り越えて最後までやり切るには、その事業アイデアが自分のやりたいことや社会に提供したい価値につながっていることが重要です。

一方で、やりたいことがあるのに挑戦を迷っている人がいたら、「とりあえずやってみたら?」と伝えたいですね。

社内起業ならお金は会社が出してくれるし、仮に失敗しても戻る場所がある。チャレンジするリスクは皆さんが思うよりずっと小さいんです。

「社内起業なんて大したことない」というくらいの感覚で挑戦する人が増えて、大企業から新事業が次々と生まれれば、日本はもっと面白くなる。私はそう信じています。

取材・執筆:牧田哲平 編集:佐々木鋼平 撮影:西田香織

米田 大典 -image

株式会社膝栗毛/三菱地所株式会社

米田 大典

2005年三菱地所株式会社入社。プロパティマネジメント、オフィスリーシングを東京にて経験後、大阪へ赴任。大阪駅前の「グランフロント大阪」のオフィス商品企画・マーケティング・オフィスリースアップを完遂後、街区のブランディング・プロモーションを担当。2018年に本社に戻り、スタートアップの事業支援を行いつつ有楽町エリアのリブランディングプロジェクトにて「SAAI Wonder Working Community」の企画・立ち上げを担当。一時は5組織兼務となり社内フリーランス化。「SAAl」のコンセプトを「おもいつきをカタチに」にとしたことから自ら「おもいつきをカタチにしてみるべく」社内の新事業提案制度に応募。2019年12月に社内審査通過、2021年11月に正式事業化、会社設立となった。

膝栗毛|HIZAKURIGE - 知らない街を歩いて巡る旅アプリ

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