Interview

【キリン】一人の社員が見つけた、薬局と薬剤師の「意外な課題」

【キリン】一人の社員が見つけた、薬局と薬剤師の「意外な課題」

全ての人が、個々の能力を発揮し可能性を取りこぼさない社会をつくりたい。そう語るのは、キリンホールディングス株式会社(以下、キリン)で、調剤薬局の医薬品在庫管理をサポートするサービス「premedi(プリメディ)」を立ち上げた田中吉隆氏だ。

入社5年目で企業内大学「キリンアカデミア」を立ち上げ、その後社内起業コンテスト「キリンビジネスチャレンジ」に応募し、新規事業開発に挑戦。田中氏が着目した課題は、キリンにとって未開拓の領域だった薬局業界における「意外な手間」だった。入社当初は新規事業にほとんど関心がなかったという田中氏。なぜ、薬局業界の課題をテーマに新規事業開発を始めたのか。

部署異動したことで、視点は「顧客」から「社内」に

2022年4月、premediはキリンのヘルスサイエンス領域における新規事業として立ち上がった。

患者に必要とされる可能性が高い医薬品をAIが調剤薬局ごとに選定するサービスだ。そのデータをもとに薬局が最終的に仕入れる薬を決める。premediを通して発注された医薬品を販売パートナーが薬局に卸す仕組みだ。

また、premediで選定し仕入れた薬をわかりやすく管理する「保管棚」も薬局に貸し出している。1シートからなど、小ロットでの発注が可能であるため補充もしやすい。服用期限が近づいた薬はpremediの販売パートナーが買い取ることもでき、余剰在庫を気にせず薬を取り揃えることができる。薬局はpremediの月額使用料と医薬品の代金を払うことになる。

提供:キリンホールディングス株式会社 premediは薬局に保管棚も貸し出している

事業担当者の田中氏が社内新規事業公募制度「キリンビジネスチャレンジ」に応募し、採択されたことで事業化が進んだ。起案した田中氏が新規事業に挑戦することになったきっかけは、薬局業界の課題ではなく社内に対する課題意識だったという。

田中氏は2015年に新卒でキリンホールディングスに入社し、千葉の卸店やスーパーに向けた飲料の量販営業を担当した後、経理部を経て本社に異動した。それまでは営業として顧客の考えや反応に向き合っていたため、本社に移ったことで以前より社内を俯瞰できるようになったと田中氏。以降、徐々に組織で働く上での考え方が変わったという。

「挑戦の風土」を促すために立ち上げたのは

部署異動で顧客から社内へと視点が変わったことで、田中氏はどんな課題に気づいたのか。

田中氏:異動前までは、キリンは社員みんなが目の前の顧客と仕事に対して一生懸命になりながら働く良い組織だと感じていました。しかし、異動したことで、社内は部署ごとに独立しており、社員同士の交流があまりないことに気づきました。

組織が持つ可能性は膨大であり、優秀な人材が集まっているのにもったいない──。そこで田中氏は、キリンの「組織風土」に注目した。

「もっと挑戦する人が増えると、キリンはさらに面白い組織になるに違いない」。自発的に挑戦が生まれる組織風土が必要であると考えた末、田中氏は2019年に組織非公式の企業内大学「キリンアカデミア」を立ち上げた。

業務時間外でオンラインセミナーや新規事業立案ワークショップ、新入社員が先輩社員からアイデアブラッシュアップのメンタリングを受けられる制度など、さまざまな企画を毎月実施し、社員の学びと挑戦を促進するきっかけをつくった。

田中氏:キリンで『挑戦の風土』をつくるという目的のもと、キリンアカデミアを立ち上げました。月に3回ほど、社外の有識者や専門家をお呼びして行う1時間半のセミナーを中心に、学びの仕掛けをつくっています。

キリンの社員なら誰でも無料で参加できること、そして毎月さまざまな分野について社外の人から学べることから、キリンアカデミアは毎年2,000人が参加するコミュニティとなった。

また、キリンアカデミアでは社外を巻き込んだ「非公式越境新規事業コンテスト”未来ゼミナール”」も行っている。キリンを中心としたさまざまな大企業から80人以上が参加し、新規事業のアイデアを起案する。田中氏によると、会社公式の社内起業制度であるキリンビジネスチャレンジとの違いは、①アイデアを準備してから参加しなくていいこと、②事業化を目標にしなくてもいいところ、③社外と組んで自由に発想できること、にあるという。

田中氏:最初のワークショップでは2人から4人のチームになってアイデアを考え、絞ります。その後、いろいろな大企業から集まったメンターがチーム一つひとつについて、最後の発表まで伴走します。

キリンアカデミアに参加した社員がキリンビジネスチャレンジにも参加し、事業化を勝ち取ったこともあるという。

田中氏:キリンビジネスチャレンジに対して、ハードルが高いと感じる社員も多いです。キリンアカデミアでは参加とゴールのハードルを下げたことで、多くの社員が気軽に『挑戦を体験』できるようになりました。おかげで社内外での交流も生まれて、狙い通りでした。

このように、田中氏は社内の「挑戦の風土」を醸成するためにアクションを起こしてきた結果、キリンアカデミアを盛り上げ、部署間の交流も増やすことができた。

すると今度は、コミュニティを牽引する自分自身に課題を感じ始めたという。

田中氏:キリンアカデミアで新規事業の創出と挑戦を促進している身として、自らも新規事業開発を経験しないと、本当の意味での挑戦の風土はつくれないのではないかと感じました。

そこで田中氏は新規事業開発を体験するために、社内起業制度「キリンビジネスチャレンジ」に向けて事業アイデアを探しはじめた。

薬剤師の業務を分解、見つけた課題とは

キリンアカデミアを運営する側として、新規事業を経験して、事業立ち上げのプロセスと挑戦の苦しみを理解したかったという田中氏。仕事やプライベートで、新規事業の種になりそうなものをひたすら探したという。

田中氏は当時を振り返りながら、自らを「Willの弱い社内起業家」であると語った。

田中氏:正直、新規事業開発を体験できたら何でもいいと考えていました。平凡に暮らしてきた僕には、ずっと解決したかった社会課題なんてありませんでした。本社に異動後、必死に目の前の課題を一つずつ解消してきた結果、新規事業開発に辿り着いただけです。

数週間テーマ探しに明け暮れていたある日、田中氏は思いもよらずアイデアの種を見つけた。何気なく参加した合コンでの出来事だった。

当時たまたま田中氏の近くにいた知り合いが薬剤師として働いているとのことで、お互いの仕事の話で盛り上がった。そんな時、田中氏はふと、薬剤師の仕事について知らないことばかりだと気づいたという。自分だけでなく、薬剤師の業務内容は意外と世の中の人に伝わっていないかもしれないと感じた。

田中氏:あまり知られていない業界の中身には、我々が見えていなかった課題があるかもしれないと考え、知り合いに薬剤師を数人紹介してもらいヒアリングを始めました。

以降田中氏は、一人ひとりが可能性を取りこぼさず楽しく働ける世の中をつくりたいという思いのもと、薬剤師の働き方に注目した事業について考えた。

田中氏:薬局業界はDXが進んでいない部分が多く、働きづらいという声がありました。そこで、薬剤師はむしろ他の業界に転職すると、別の形で能力を発揮しながら楽しく働けるのではないかと思い、アイデアを構想しはじめました。

その後「薬剤師のための転職サイト」という事業でキリンビジネスチャレンジに応募した。

田中氏は当時無理矢理絞り出したアイデアだったと振り返ったが、結果は通過だった。以降、さらに薬剤師にヒアリングを重ね、ニーズと課題の深堀を行うことになった。

薬が欠品したら、走って取りに行くしかなかった

ヒアリングをもとに薬剤師の業務を分解したところ、田中氏は薬局で起こる「医薬品の欠品」という課題を見つけた。

薬局で薬の在庫切れが起こりうるということは大きな驚きではないかもしれないが、対処法には「薬剤師が近隣の薬局まで走って薬を分けてもらいにいく」ことしかないという。もし患者が求める薬が近くの薬局にもなければ、患者に数日我慢してもらい、後日渡すようになることもある。

つまり、薬の欠品は薬局で待ち時間が発生する原因の一つだった。しかも、患者にとって薬をすぐにもらえないことは精神的なストレスにつながる。

田中氏:欠品したら薬剤師が走って別の薬局まで取りにいくと聞いた時は、衝撃でした。薬局業界の人たちは、医療に関する膨大な知識を備えており、患者に薬の指導ができるプロフェッショナル集団です。業務が効率化されないことで、薬剤師のみなさんの能力が最大限に発揮されないことが惜しく感じました。

加えて、当時キリンは健康領域を強化する方針を掲げ始めた頃だった。薬局の現場を改善することができれば、薬剤師は患者の健康を考える時間が増え、より長い時間を患者の対応業務にあてることができる。薬剤師の仕事を効率化することで、最終的に世の中の健康を促すことができるのは、健康領域を手がけるキリンにとってもプラスになると田中氏は考えた。

また、premediを通して薬局業界と関係を築くことは、健康飲料を手がけるキリンにとっていつかポジティブに働くかもしれない、と田中氏。キリンとして挑戦する意義があると感じた田中氏は、その後300人以上の薬剤師にヒアリングを行った。

そして田中氏が思いついたのは、在庫切れしやすい100種類の薬を選び小ロットで薬局に置いてもらえる仕組みをつくることだった。

予測できない。「この事業、もうだめかもしれない」

薬の欠品防止ができる仕組みを作ると決めて以降、田中氏が一番初めに直面した壁は事業の肝である「欠品しやすい薬を予測する方法」を生み出すことであった。

最初に思いついたのは、少数でも置いておきたいと考える薬を薬局に100種類選んでもらうことだった。しかし、これが「大失敗」だったと田中氏は振り返る。

田中氏:そもそも、100種類もの薬なんて思いつかないと薬剤師の方に言われました。一般的に、薬局1店舗ごとの薬の数は500から1,000品目にもなります。必要な薬だと自分で認識しているものは、患者のためにそもそも全て在庫があります。そんな状態なのに、さらに追加の100種類を選ぶのは想像以上に難しいとのことでした。当時は無理を言って絞ってもらったのですが、結果全く欠品を防げませんでした。

薬局の数はコンビニよりも多いにもかかわらず商圏は狭く、周囲の病院によって薬局ごとに販売傾向が異なる。薬にも服用期限があるため、処方頻度の低い薬の在庫を余分に準備してしまうと期限が切れてしまい、結果薬局にとってマイナスになる。

課題はわかっているのに、どう解決すればいいかわからない。

田中氏:想像以上に薬の数は多く、求められる医薬品もバラバラ。私の事業アイデアはもう完全にだめだと思いました。

その後田中氏は他に手がかりとなるようなデータがないか、人づてに薬局をまわり、事業について説明した上で薬の処方データをもらったという。専門的な医薬品の名前なんて全くわからない。それでも田中氏は得たデータをエクセルに落とし込み分析した。

しばらく分析を続けたところ、田中氏は2つの観点で欠品しやすい薬を予想しなければならないと気づいた。1つは、各薬局の周囲の病院を調査し、薬のベストセラーを押さえること。

田中氏:例えば、ある薬局の目の前が眼科だった場合は、その薬局にとってのベストセラーは点眼薬になります。

薬局ごとのベストセラーはある程度、簡単に予測できるという。

2つ目は、薬局問わず一般的にニッチで販売機会の少ない商品がどれかを見極めることだという。目の前に眼科のある薬局でも、300メートル離れた小児科から来る患者もいれば、遠くの大学病院で診てもらった人も来る。各薬局で欠品したニッチな薬を集めると、共通して欠品する薬が一定品目あると田中氏は気づいた。

薬局の近辺にある病院と、広い目で見たロングテール商品に注目し、再度田中氏は100種類の薬を選んで薬局に置いてもらった。

その後複数の薬局でテストした結果、これまでよりも欠品率は改善され、事業化が現実的なものへと近づいた。

田中氏:過去の処方データをもとに薬のリストを編成すると、筋の良いリストをつくることができるとわかりました。しかし薬局ごとに処方履歴が異なるため、非常に良い結果が出た薬局もあれば、箸にも棒にもかからないところもありました。

薬局ごとに100種類の医薬品リストを用意する必要があるとわかったものの、田中氏は人力での分析には限界があると感じた。

田中氏:薬局からいただいたデータを自らエクセルに落とし込み、分析して100種類のリストを薬局ごとにつくっていました。しかし事業の拡大を考えると、このやり方では時間も体力も精度の向上も限界がくるだろうと感じました。

そこで、分析作業をより効率的かつ正確に行えるよう、AIを使ってリストをつくれないか社内に相談した。すると徐々に社内外からエンジニアが集まり、AI予測サービスとしてpremediの開発が進んだという。

田中氏:大企業にいたからこそ、迅速に作業をエクセルからAIにシフトできました。エンジニアの社員の方にAIをつかって薬局ごとの分析と100種類の薬の選定を自動化できないか相談したところ、現状キリンのECで運用しているようなリコメンドのAI技術が応用できるのではないか、という話になり、すぐに検討してくれました。

新規患者の獲得にもつながった

最も効果があった薬局では、約7割もの欠品を防げたという。

田中氏:premediが欠品しやすい薬を100種類選ぶことで、中小規模の薬局の業務が改善されました。薬剤師の皆様の『働く』に貢献できて、非常に大きなやりがいを感じています。

提供:キリンホールディングス株式会社 premediサンプル画面

2022年8月には、医薬品二次流通サービスを運営する株式会社Pharmarketと協業契約を締結し、医薬品の販売パートナーとして医薬品販売・配送をサポートしてもらうことになり、薬の流通をより効率化させている。現在は、1年間で100店舗の薬局への展開を目指しているという。

また、導入した薬局からは、患者の待ち時間を大幅に削減できているという声もあるそう。

田中氏:ある日premediを導入した薬局に、患者さんから問い合わせがありました。いくつも薬局を回ったけれども、自分の処方された医薬品がどの薬局にもなくて困っていたそうです。その時、たまたまpremediの中にその医薬品が置いてあったとのこと。以降、その患者さんを受け入れることになったそうです。

premediを導入することで薬局は患者の新規獲得と継続利用も期待できる。premediを通して業務効率化以外にも新たな価値を薬局に提供できたと田中氏は語った。

田中氏:薬剤師の方々が忙しい中、在庫が切れた薬を他社まで走って取りに行くという現象を少しでも回避できているのが嬉しいです。私がやりたかったことは、働く人が可能性を取りこぼすことなく自らの能力を発揮し、少しでも楽しく仕事することですから。

新規事業開発を経験すれば、将来どんなことにも挑戦できる

薬局の現場を改善することでより多くの薬剤師の人手が患者に回り、最終的に世の中の健康を後押しする。premediの事業はキリンの「健康領域に貢献する」という目標に間接的につながると田中氏は強調した。

また、premediをきっかけに生まれた薬局との繋がりが、現在既存事業でも活かされていくという。一体どういうことなのか。

キリンが新たに開発した飲料で機能性表示食品の「iMUSE」を調剤薬局で販売しているのだ。今後健康飲料やサプリメントなど、キリンが健康食品を手がけていく以上、適切な健康アドバイスをできる薬剤師とつながり知識を共有してもらえることは同社にとって重要なアセットになる。当初の田中氏の狙い通り、premediを通して得た医療コミュニティは、既存事業にも貢献していく可能性がある。

最後に、田中氏に新規事業に挑戦したい人たちへのメッセージを聞いた。

田中氏:新規事業は4つの未来を同時につくれる仕事だと考えています。会社の未来、お客様の未来、社会の未来、そして自分の未来。社内起業は非常にたいへんですが毎日が濃密であり、困難を乗り越えるたびに自らの将来の可能性が広がっていくのを感じます。新規事業を経験したおかげで、将来どんなことも躊躇せず挑戦できる自信があります。

入社当初はWillなんてなかったという田中氏。組織課題を感じた日から、止まることなく行動を起こしてきた。「Willがなくてもいい。社内起業は、挑戦したい気持ちが一番大事ですから」と強調した。

取材・執筆:ぺ・リョソン 編集:佐々木鋼平 撮影:曽川拓哉

田中 吉隆-image

キリンホールディングス

田中 吉隆

2015年、キリンホールディングスに新卒入社し、営業と経理を経験。2019年に社内の新規事業コンテスト「キリンビジネスチャレンジ」 にて、薬局向けAI置き薬「premedi」を新規事業として起案し、採択。2022年事業化。現在はキリンビジネスチャレンジの事務局も兼任し、社内新規事業の制度設計・伴走支援を行う。有志の企業内大学「キリンアカデミア」を立ち上げ、参加者が2,000人を超える全社的な活動になる。2020年グループ社長賞にあたるキリングループアワードを受賞。経済産業省のグローバル起業家等育成プログラム「始動 Next Innovator 2021」シリコンバレー選抜。一般財団法人・生涯学習開発財団認定コーチ。

プリメディ - 「いつか来るかも」にいつでも応えるAI置き薬

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