Interview

【ヤマハ】「なくても死なないけど、あると楽しい」新サービスが生まれる新規事業創出制度

【ヤマハ】「なくても死なないけど、あると楽しい」新サービスが生まれる新規事業創出制度

ヤマハ株式会社の社内公募制度「Value Amplifier」から生まれた新規事業は、いわゆる課題解決型の事業創出アプローチとは一線を画す。遠方にいる観客の声をスタジアムに届けるスピーカー、キーボードで弾くボーカロイド、伝説のライブの追体験……。世の中に新たな価値を提供する新規事業は、どのようにして生まれるのか。同社研究開発統括部 研究開発企画部 戦略企画グループ リーダーの畑紀行氏に、独自性の高い新規事業を創出し続ける秘訣を伺った。

ソリューション先行は失敗のもと。事業成功の鍵を握るポイントは?

畑紀行氏は1992年、ソフトウェアエンジニアとしてヤマハ株式会社に入社。2002年以降、自身が新規事業創出に携わるようになった。リモート会議が浸透する10年以上前、遠隔の電話会議を円滑にするマイクスピーカーの事業企画を担当した。薬局などで他人に聞かれたくない会話を守るスピーチプライバシーシステム、雑踏の中でも音が「耳にまとわりつくように入ってくる」交通広告用スピーカー等、音にまつわる新規ビジネスを推進してきた。数々の新規事業を自身でも経験してきた畑氏は、「面白い事業案はたくさんあれど、ビジネスとして成立させるのは難しい」という実感を強く持つ。

畑氏が社内公募制度「Value Amplifier」の運営を担当するようになったのは、2015年のこと。代表取締役社長・中田卓也氏の“チャレンジ精神を持つ組織を作りたい”という思いを受け、新規事業創出の環境づくりに奔走してきた。

アイデアソンを開催したこともあったが、なかなか事業化まで辿り着かなかった。「社員を拘束できるのは長くて半日。半日程度で考えたアイデアに、社員はこれまで築いてきたキャリアを捨ててまで挑戦しようとは思わない」と気づいた。本気で新規事業に向き合う人材を育成するには、アイデアベースでのアプローチでは限界がある。重要なのはソリューションのアイデアではなく、事業の軸となる目的であり、ビジョンだ。

「たとえばドローンというアイデアに捉われている候補者がいるとします。ドローン以外のソリューションを提案されて事業内容が変わった瞬間、候補者はその事業に対するモチベーションが一気に低下してしまう。ビジョンドリブン型の事業を見極めることが、事業成功の鍵を握っている」

畑氏は「ビジョンの強い事業」を通過基準に定めた。

「顧客に否定される経験」は、苦いだけじゃない。覚醒のきっかけに

それでは、具体的に「Value Amplifier」で新規事業を立ち上げるプロセスを見ていこう。まず、アイデアの作り方・絞り方・ビジネスモデルの作り方など新規事業の基礎知識を学ぶイベントが用意されている。業界情報、領域ごとに話題になっているスタートアップ企業・サービス紹介など、どんな社員でも新規事業にチャレンジできるよう丁寧な布石がひかれている。

生まれたアイデアが本気のビジョンに昇華し、「Value Amplifier」に応募・通過すると、2つのプロセスが待つ。

ファーストステップは、ターゲットと課題の研ぎ澄ましだ。ネット調査など簡易的な検証を行い、事業の軸を磨く。次に、本格的な仮説検証ステップに移る。畑氏が重要視しているのは、応募者に「調査の『ど頭』で顧客にアイデアを否定される経験」を積ませること。自分のアイデア・ソリューションに縛られがちな新規事業家を動かすのは、顧客の声なのだという。

「ターゲットに直接話を聞いて、アイデアを否定されると、一度は打ちのめされる。その経験によって、起案者の中の変なプライドがなくなります。当初のアイデアとこだわりはゴミ箱に捨て、ビジョンを研ぎ澄まそうと覚醒するきっかけになります」

特に成功体験の多い大企業だからこそ、顧客から否定されるという稀有な体験は、候補者を刺激し覚醒させるそうだ。事業のテーマは各事業部長直々に出してもらった、成長戦略に沿ったもの。そうすることで、既存事業とは被らない一方で、実現性の高い事業を生み出すことができる。毎年新規事業を生み出し続けられるよう、テーマの刷新はもちろん、制度も試行錯誤しながらアップデートし続けている。

音の概念を拡張して生まれた、ヤマハならではの新規事業とは

「Value Amplifier」で実際に創出された事業を紹介していこう。

「おもてなしガイド」は、音を利用してリアルタイムに外国人や聴覚障害者に適切な情報を届けるサービスだ。公共施設などで流れる音声アナウンスにデータを混ぜることで、利用者がスピーカーの前でスマホをかざすと、情報がテキスト化される。電車の緊急停止や地震・火事といった有事の際に、声の届かない人や日本語が理解できない人にも瞬時に情報を伝えることができる。既に、公共交通機関や防災訓練等で実証実験が始まっている。

スタジアムでスポーツ観戦が叶わなくなったコロナ下で生まれたのは、テレビの前の観戦者の声援をスタジアムでプレーする選手へリアルタイムに届ける仕組みだ。こちらもサッカーから実証実験が開始されている。

リアルな声をデータにして機械に歌わせるボーカロイドを活かした「VOCALOID Keyboard VKB-100」という商品もある。キーボードで演奏したメロディーの通りに、歌詞を歌わせることができる​​ヤマハらしい商品であり、既に発売されている。その他にも、音の技術を使って、ビジネス動画を手軽に作れる簡単動画制作サービス「tollite」など、現代の市場にマッチしたサービスも多い。

「音楽を無形文化遺産にしたい」という起案者の思いから生まれたのは、“ライブの保存”ができるサービス「Real Sound Viewing」。チケットの取れなかったライブや、既に亡くなったアーティストの伝説のライブを見たい、活動を終えたアーティストのライブをいつまでも追体験できるようにしたいという思いに応えた。DVDではなく、ライブ空間そのものを真空パックのように保存できないかと考えた。バーチャル映像の本人を本物のライブハウスに出現させ、ライブの生音をスピーカーから出すという新体験を創出した。コロナ下で打撃を受けたライブ業界の人たちを救いたいという思いもある。本物のライブと“真空パック”を行ったライブ、双方に参加した観客からも支持を受けているのだとか。

文化としての琵琶を残すために生まれたのは、琵琶を自動で奏でる「リアルサウンドビューイング 筑前琵琶演奏再現」。ヤマハが持つ演奏の再現技術で、奏者の演奏を録音・解析。弦の振動データを再現することで、奏者がいなくても琵琶の音色を後世に残すことができる。

7年掛け、「Value Amplifier」の社内認知も広がってきた。経営陣からは挑戦する風土が高まっていることに対して高い評価を受けているが、畑氏は「事業としてどこまで大きくできるか、まだ課題も多い」と現実を見据える。サポート制度を始めとする事業の関係人口の増加、次世代の挑戦者を育てる持続的なイノベーションを生み出す仕組みづくりなど、やるべきことは山積みだ。

「出口戦略も、事業部門以外のソリューションを準備したい。仕組みを先に整えるのは難しいため、その都度必要な案件を持って画策していくしかありません。少しずつオプションを増やしていきたいです」

新規事業開発の関係者を増やす、数々の仕掛け

近年「Value Amplifier」が取り組んでいるのは、ビジョンを持つ人材を生み出し続ける仕組みづくりだ。複数の課題・テーマを提示し、同じテーマに集まった人たちが議論できる場を作り、新規事業創出チームとして育成する。「同じ課題に関心を持つ人たちは、同じビジョンを持っていることが多いです。アイデアではなく、ビジョンで集めているからこそチームとしてうまく機能します」。テーマによって事業の質にばらつきは出るが、取り組みは順調に進んでいるそうだ。

また、新規事業制度を長年続けるには、より多くの人材を新規事業に巻き込むことも欠かせない。せっかく大企業に入ったのに、自らのキャリアを捨ててまで、新規事業に自発的に取り組みたいという人材は少ない。「新規事業を自ら立ち上げるまではいかなくとも、新規事業に何らかの形で携わりたいという人も多くいます。そこでサポーター制度を設けるなど、新規事業への携わり方を多様に用意しています」

社内ブログなど地道な活動を通して、新規事業の関係人口の増加を目指す。「あと1メートル、もっと多くの人に議論に入ってもらうのが今後の課題です」と畑氏は語る。

制度への挑戦、2回目以降が勝負と言える理由

「Value Amplifier」では約1/3が応募経験のある「再チャレンジャー」だという。もちろん制度には何度でも応募可能だ。落選した候補者とは事務局が直接言葉を交わす機会を設ける。「もし落ちたとしても、テーマに合わなかっただけ。挫けず、面白いテーマがあれば再チャレンジしてほしいと伝えます」

2回目3回目のチャレンジともなれば、過去の反省を活かしてフェーズ毎に何をしておくべきか、明白になっている。経験値を糧に、スピード感を持って事業検証を進められる人材が育っているのだという。1回に全てをかけるのではなく、2回目以降の挑戦が勝負なのだ。

顧客の課題ベースではない、付加価値創出型事業の進め方とは

ヤマハの新規事業アイデアは、課題解決型だけではなく付加価値創出型が多いのも特徴だ。顧客の課題から生まれる事業ではないため、仮説検証の仕方も難しい。顧客が今想像してもいない価値を、魅力的に感じるかどうかを検証しなければならない。

初期段階から付加価値創出型の事業だと判断できれば、ファーストステージから調査よりものづくりに舵を切ることも。本物を想像できるプロトタイプやビジュアルを作り込む。1種類だけ見せても“いいね”としか言えないため、数種類用意する場合もある。

「“人生のおもちゃ”を作りたくてヤマハに入ってきている人材が多い。世の中に何かを提示したい、それが世の中にウケるか確認したい。作品を世に出したいモチベーションが強いんです。新規事業も付加価値創出型が多くなるのは、必然ではないでしょうか。KPIを展示会等での来場者の反応に置き換えるなど、付加価値創出型の事業なりに新規事業を進めていくしかありません」

とは言え、いきなりファーストステージでサービスを作り込むわけにもいかない。費用を見ながらサービスレベルの質を徐々に高め、顧客の反応を見る。その塩梅は畑氏も模索を続けている。

ヤマハの新規事業は、世界を平和にできると信じている

長年新規事業に携わってきた畑氏から見た、社内起業に向いている人のスタンス・マインド・スキルとは。

一番に、「強いビジョンを持っていること」を掲げる。その人の人生をかけるほどの思いがあり、実現したいビジョンを持っていること。新価値創造のマインドセットがあること。そして、「固定概念を疑い、常により良い手段を選択することも重要です。薄々こっちの方がいいと思いながら、最初に考えたアイデアを捨てられない人も多い。勇気を持って決断できるかは、新規事業成功の鍵を握ります」。

自身も試行錯誤を重ね、新規事業創出に取り組み続ける畑氏の原点には、「世界を平和にしたい」という真っ直ぐな思いがある。「広島や長崎に近い福岡県だったからなのか、学校で『はだしのゲン』を見る機会がやたら多かった。そんな刷り込みから、幼少期から、戦争にならない、平和な世界を作りたいという思いがありました。ヤマハは、世の中に存在しなくても死なないけれど、あると楽しくなるものを作っている会社だと信じています。そういう会社が元気になると、世の中はもっと平和になるんじゃないか。ヤマハの新規事業が、世の中に楽しみを増やせると信じて、頑張っています」

最後に、社内起業家へのメッセージを聞いた。

「私は、新規事業はROCKだと思っています。最初のアイデアはなかなか信じてもらえず、社内では亜流な立場から始まるけれど、いつかビッグになって見返してやるぜ、という世界観。孤独を感じることもありますが、大きい空の下には苦しみながら新規事業に挑んでいる人がたくさんいるので、その思いが実現できることを信じて、みんなで一緒に頑張りましょう。きっとそのうちいいことがあるはずです」

取材:加藤 隼 編集:ぺ・リョソン 撮影:野呂 美帆

畑 紀行-image

ヤマハ株式会社

畑 紀行

1992年ソフトウェアエンジニアとしてヤマハ株式会社へ入社。2002年から一貫して新規事業に携わり続け、ユニファイドコミュニケーション向けマイクスピーカーや、スピーチプライバシーシステム等、多数の新規事業立ち上げをディレクションする。2015年からはイントレプレナープラットフォーム "Value Amplifier"代表。