Interview

【ANA】社内外の垣根を超えて事業を創る縦横無尽イノベーター

【ANA】社内外の垣根を超えて事業を創る縦横無尽イノベーター

金融機関やコンサルティング会社など多岐にわたる現場経験のキャリアをバックボーンにして、産官学や地域とのネットワークも活用しながら、新しいプロジェクトを通じて様々な課題解決に取り組む野中氏に、これまでの新規事業キャリアと今後の展望について取材しました。

転機となったLCC設立プロジェクト

―まずは野中さんのこれまでのご経験やキャリアについてお聞きしたいと思います。ANAグループ入社前のキャリアについて教えてください。

1988年に大和銀行(現りそな銀行)に入行し、台湾の大学での中国語研修の後、日本での勤務を経て香港に駐在になりました。現地ではシンジケートローンや外国為替などを担当し、1997年7月1日の香港の中国返還まで香港に駐在していました。香港からそのまま台湾に異動になり、台湾のパートナーであった現地の大手商業銀行に出向し、駐在員として日本企業の台湾進出のサポート等を行いました。台湾駐在時に、縁あって野村総合研究所の台北支店に声がけいただき、銀行からコンサル業界に転職しました。

―NRIでの仕事は、どのようなミッションだったのですか?

当時のNRIでは、台湾政府をクライアントとする日本企業の台湾誘致を目的とする進出支援プロジェクトを受託しており、入社時から同プロジェクトを任されました。日本企業への投資誘致活動なのですが、投資環境に関する情報発信や関連するセミナー実施の他、毎年、政府ご一行を日本へお連れして、投資可能性のある日本企業への訪問を行っていました。台湾政府関係者が訪日する際の行程アレンジ、台湾の経済大臣や政府幹部の講演アレンジ、記者会見の同行等を手がけました。日系企業の台湾進出支援プロジェクトのリーダーとして様々な業務をサポートし、通訳も行いましたね。

その後、2003年からは約4年間上海に駐在し、中国におけるコンサルティング拠点の立ち上げに現地法人の副総経理として日系企業向けのコンサルティング事業統括として従事し、2007年に日本に帰国することになります。

―日本に帰国後はどのような業務を行っていましたか?

銀行の駐在時期を含めると香港・台湾・上海に計14年間駐在した後、日本に帰国したのですが、帰国後もNRIでは海外のコンサルティング案件が中心で主に新興国市場における日本企業のマーケティングに関するコンサルティングに関わっていました。中華圏以外にもインドやロシアのプロジェクトなども手掛けていましたね。

その後、国内プロジェクトを中心に行う部署に異動となり、正直あまりモチベーションの上がらない時間を過ごしていたところ、上司から「航空会社のコンサルティング案件」を紹介され、それが、ANAのLCC設立に関する業務だったのです。

―ANAのLCCというと、国内LCC業界の先駆けのような存在ですよね。

2011年にピーチアビエーションとエアアジア・ジャパンの2社を立ち上げています。ANAに出向してLCC立上げ支援を行うという話だったのですが、私自身はそれまで航空事業のコンサルティングに関わった経験がほとんどありませんでした。ただ、コンサルティング業務に長く従事するうちに、「実際に自分が当事者として手足を動かす事業会社側に軸足を置きたい」という気持ちが大きくなっていた時期でもあり、出向を決めました。

ミャンマーでの新規事業の取組み

―ANAに出向されてからは、どのような業務に関わられたのでしょうか?

2011年にLCCの立ち上げ支援を行った後、ANA便が就航していない主にアセアン地域の市場調査を手がけました。当時、アセアン地域の有識者にいろいろ話を聞いて回ったところ、多くの方が「これからはミャンマーが面白くなりそう」と口を揃えて言っていました。丁度、ミャンマーが軍事政権から民主化に移行した直後で、国としても大きな転換期を迎えていたのですが、何度か現地に赴いて一次情報を収集して周り、市場のポテンシャルの高さを実感しました。帰国後にレポートをまとめ、経営層に対して「ミャンマー(ヤンゴン)就航には、今が最高のタイミング」と報告しました。

そして、半年間の準備期間を経て、国内からは12年ぶりとなるミャンマー線(成田―ヤンゴン線)の就航となりました。短期間に就航にまでこぎつけられたのは、現地のスタッフ達が航空当局としっかりと関係を持ってくれていたおかげでもあったと思います。

―当時のミャンマーの航空市場をどのように分析していらっしゃいましたか?

マーケット自体はまだ決して大きくはないのですが、市場の成長ポテンシャルは感じていました。一方で、当時現地には10社ほど地元資本の航空会社がありましたが、日本のように高い安全基準やサービス水準が求められる状況ではなかった為か、ANAの安全品質、サービスクオリティを提供していけば、後発であっても十分に参入余地があると感じていましたね。

そうした中、現地財閥とパートナーシップを組んで、新規航空会社立ち上げのプロジェクトをスタートしました。しかし、いざ始めてみると、航空会社立ち上げに向けてやるべきことが山積で、あっという間に2年間の出向期限が迫ってきてしまって。当時は、私ともう一人の若手社員の2人のみでプロジェクトに取り組んでいたので、そのまま放り出すわけにもいかず、出向元に戻ることなくANAに転職することになりました。その後、しばらくしてこのプロジェクトの責任者としてミャンマーに駐在することになります。

―その後もミャンマーでの新規プロジェクト立ち上げに従事されたのですか?

しばらく日本での準備期間を経てミャンマーに駐在しました。ただし実はこのプロジェクト、最終的には立ち上げ一歩手前のタイミングで、マーケット環境や政治的な要因等から、プロジェクトの検討を中断せざるを得ない状態に陥ってしまいました。新興国市場で国の許認可が絡む事業を立ち上げることの難しさを身をもって経験しました。今となっては貴重な経験をさせてもらったと思います。

航空会社立ち上げプロジェクトは検討を中断することになりましたが、一方で、空港での荷物の積み下ろしや航空機の地上誘導を手がける「グランドハンドリング」業務に関して、ミャンマーから外国人技能実習生を受け入れました。ミャンマーの航空当局とタイアップし、これまでに延べ40名程度の技能実習生を成田空港のANAのグループ会社に受け入れています。

―研修プログラムはどのような経緯で立ち上げられたのでしょうか?

航空会社立ち上げのプロジェクトの関係でミャンマーの航空当局とは頻繁にコミュニケーションをする機会があったのですが、航空当局から航空人材の育成のサポートをしてほしいと事あるごとに相談されていました。ミャンマーは敬虔な仏教徒の国であり、日本人に気質が近い面もあるので、日本でしっかりと教育を行えば、将来的にミャンマーで活躍できる航空人材を輩出出来るのではないかと考えました。

―研修をスタートさせるまでのプロセスで、苦労された場面などはございましたか?

グランドハンドリングの研修は、「外国人技能実習制度」のスキームを活用したものだったのですが、ヤンゴン空港で働く現地企業5社の社員の方々を対象としたもので、過去に前例の無いスキームであったことから、日本及びミャンマー両国政府の調整にはかなり時間を要しました。紆余曲折はあったものの、結果的には本プロジェクトの取り組み意義について関係者の方々の理解を得ることが出来、最終的に多くのご支援のもと、何とかスタートにこぎつけることが出来ました。

―ミャンマーからの帰国後はどのような仕事に従事されたのですか?

帰国後しばらくして、ANAホールディングスが出資するベンチャーキャピタルであるWorld Innovation Lab(WiL)の東京オフィスに出向になりました。出向中は、毎日のようにスタートアップの経営者に会う機会に恵まれましたね。スタートアップ企業とANAグループをかけ合わせてどんな事業ができるかといったことを考えるのが自分のミッションでした。例えば、ウェアラブルのベンチャー企業であるミツフジとLCCのピーチアビエーション及びワコールの3社で、女性向けの着心地の良いウェアラブルブラジャーの開発というプロジェクトをアレンジして、結果、当該プロジェクトは商品開発に至りました。一方で、うまくいかず立ち消えになった案件は山ほどありますが(笑)。

Universal MaaSへの取り組み

―現在、関わっている事業についても教えていただけますか?

ANAグループの社内の提案制度であるANAバーチャルハリウッドから誕生した「MaaSプロジェクト」の事業に関わっています。ANAバーチャルハリウッドはANAグループの社員の提案制度であり、2004年にスタートし、今までにのべ1,600名以上が参加しています。ANA総合研究所はこの提案制度の事務局でもあるのですが、MaaSプロジェクトに関して、私は当初からプロジェクトメンバー当事者として関わっています。

私が関わっているのは「Universal MaaS」というコンセプトのMaaS事業で、身体的な理由など何らかの理由で移動を躊躇する人々の移動を後押しするには何ができるかを考えています。現在は京浜急行電鉄と横須賀市及び横浜国立大学他のパートナー企業とともに、産学官の共同プロジェクトとして社会実装に向けた取り組みを進めています。

―社会的に意義の大きな取り組みですね。

例えば、車椅子の方が飛行機に乗る場合、事前に航空会社と介助に関する情報を共有していただいているので、移動をサポートするスタッフをアレンジできます。しかし、鉄道を利用する場合には、基本的に事前予約を必要としていないので、結果、同じ時間帯に車椅子の方が集中してしまうと、介助する駅員の方の人手が足りず、すぐには電車に乗れず待たされてしまうという状態が発生しています。

―同じ交通インフラといっても、それぞれ異なる課題があるのですね。

例えば、利用者ご本人の許諾が前提ですが、交通機関同士で事前に介助に関する情報を共有できたら、移動がよりスムーズになりますよね。交通機関同士で情報を共有し、サービス連携を図ることで、出発地から目的地までのシームレスな移動体験が作れるはずです。この取り組みは単に一民間企業の新しいサービス開発というものではなく、一種の社会インフラ作りだと理解しています。従って、民間企業の目先の売上・利益をどう確保するかという視点からでは関係者のコンセンサスを得ることは難しく、世の中に必要とされる社会インフラ作りであるという共通認識があって、はじめて前に進められるものだと思います。社会実装までには解決すべき課題が山積していますが、試行錯誤を繰り返しながら前に進めているという状況です。

―これまでに数多くの新規事業の立ち上げに関わって、多岐にわたる経験を積まれてきた野中さんとしては、今後どのようなチャレンジをしたいと考えていますか?

「思いついたことに対して、誰でもすぐに手を挙げられるのが当たり前」という社内文化を育てていきたいです。そういう意味では、社内の提案制度などなくても、どんどん行動に移すことが出来る人が増えていって欲しいですね。

社内起業家としての考え方・動き方

―これまで多くの新規事業に取り組んできた野中さんから見て、新規事業開発人材に重要な「個人」のマインドセットについては、どのように捉えていますか?

「好奇心を持って走る」というマインドが必要だと思います。事前にしっかりと綺麗な計画を作ったところで、その通りにはいかないことがほとんどですよね。だからこそ「思いついたらまずは走り出す」「走りながら考える」というような行動が、基本だと思います。

また、とかく新規事業というのは、新規事業と関係のない立場の人からは必ずしも歓迎されるわけではありません。基本的に嫌われます(笑)。

だからこそ大切なのは「打たれても折れない」こと。新規事業の立ち上げ期なんて打たれるのが仕事、のようなものですから。必ず波風は立つものなので、気にせず「打たれにいく」くらいのスタンスで丁度いいのではないでしょうか。

あと新規事業を考える上では「常に前提を疑う」という視点が大事ですね。今ある状況を当たり前だと思わないことですね。例えば、コロナ禍で、これまで何の疑問も持たずに「毎日満員電車に乗って会社に出社する」ことが、今では当たり前な事ではなくなりましたよね。こういうことが至る所に転がっているんですよね。常にアンテナを張ってそこに気づけるかどうか。

―どのようにしてそのような視点/素養を養っていますか?

社内に閉じこもることなく、社外での活動も重視して行動することですかね。社内だとどうしても似通った価値観の人の集まりになってしまうので、なかなか発想が広がりにくいですし。

社外の活動ということでは、現在は官民ファンドである地域経済活性化支援機構(REVIC)に兼務出向しており、地方自治体と共に地域活性化を推進するプロジェクトに関わっています。具体的には函館市と共に「学びのワーケーション」というコンセプトのワーケーションを地域の大学と連携を取りつつ、進めています。地域課題をワーケーション参加者と地域の人が一緒になって考えるような場づくりをすることで地域への誘客を推進していくことに取り組んでいます。

この他にも、都内の大学のゼミ(マーケティング)で事業開発について教えたり、経済産業省が進めるイノベーター育成プログラムのメンター役を務めたりしています。

関心があるものに対しては、基本的に何でも首を突っ込むようにしています。それぞれの活動は一見、関係のない取り組みに見えるかもしれませんが、私の中では相互に繋がっており、無駄なことはないという感じです。

社内起業家へのメッセージ

―最後に、日々奮闘している社内起業家の方々、新規事業にチャレンジしたいと思っている人たちへのメッセージ、応援のアドバイスを頂戴できればと思います。

まず覚悟を決めることですかね。嫌われたり叩かれたりしても、それが「新規事業を作る上では当たり前のプロセス」くらいに考えて腹を括ることで、見えてくる景色があると思います。

さらに言えば「新規事業の担当でないと新規事業が出来ない」と考えているうちは、新規事業とは真に向き合えないかもしれないですね。担当であろうがなかろうが、新規事業をやりたいのであれば、やればいいと思います。新規事業を「義務」でやったところで良いものは生まれないでしょう。自分なりの動機付けがないと。

また、会社の中で椅子に座って机にかじりついて考えているだけでは、新規事業のヒントや課題には気づけないでしょう。自分のフィールドを積極的に外へ広げて、外から自分の会社や仕事を眺めてみる。社外で得た知見や経験あるいは人的ネットワークを社内の仕事にも生かしていくことが大事なのだと思います。

それから会社というのはあくまで「場所を与えてくれる存在でしかない」ということ。「与えられた場で何をするか?」は、自分の主体的な行動次第で変わってくるはずですし、その行動の積み重ねこそが自分のキャリアを築いていくものだと思います。

編集後記

金融機関とコンサルティング会社での勤務を経て、ANAグループ内で会社の垣根を超えながら様々な新規事業開発を推進し、サポートを続ける野中さんに取材をしました。

新規事業における心構えで重要なこと、自分の付加価値の磨き方やキャリアに対しての考え方など、様々な会社で数多くの修羅場を経験しながら新規事業を推進してきたからこその含蓄のある言葉には、様々なヒントが散りばめられていたかと思います。

常に新しい場所でチャレンジを続ける野中さんのご活躍に、今後も期待したいと思います。


取材・編集:加藤 隼、永山 理子 執筆:土橋 美沙 撮影:川上 裕太郎 デザイン:村木 淳之介

野中 利明-image

株式会社ANA総合研究所・全日本空輸株式会社

野中 利明

株式会社ANA総合研究所 主席研究員 全日本空輸株式会社 企画室 MaaS推進部兼務 株式会社地域経済活性化支援機構 シニア・アドバイザー 一般社団法人Work Design Lab パートナー 1988年に新卒で大和銀行(現りそな銀行)に入行の後、2000年に台湾駐在時に野村総合研究所(NRI)へ転職。 NRI在籍中に全日本空輸(ANA)のLCC立上げ支援を行ったことを機に2013年にANAに中途入社。ANA入社後、ミャンマーでの新規航空会社立ち上げの為、ヤンゴンに駐在し、帰国後、ベンチャーキャピタル(World Innovation Lab)への出向を経て、2019年4月よりANA総合研究所。 現在は同研究所に在籍する傍ら、ANA企画室MaaS推進部兼務にてMaaS事業開発に関わる他、地方創生を進める官民ファンドである地域経済活性化支援機構(REVIC)に兼務出向し、地方都市の地域活性化に関するプロジェクトなどに従事。また新しい働き方を提言・実践する一般社団法人であるWork Design Labのメンバーでもある。