ポーラの新規事業、冷凍宅食惣菜『BIDISH』、フジテレビ社員と協働で新メニューを開発し2月20日より順次発売
【セイノーHD】伝統的な物流会社の中で”仕掛け”を続けるイノベーターの働き方
伝統的な大手運送会社の中で、矢継ぎ早に仕掛けとイノベーションを起こし続ける。
グループ内でも異能な変革者に迫る中で見えてきた、大企業の中で個で変革を起こしていくための本質とは?
▼目次
全国を転々としながら様々な業務・プロジェクトに携わる
―まずは河合さん自身のキャリア・経歴についてお伺いしたいと思います。入社してから関わってきた業務について教えていただけますでしょうか?
1997年に西濃運輸に入社してから22年目になるプロパー社員です。西濃運輸の新入社員の最初の仕事は全員トラックドライバーなんです。西濃運輸がトラック事業で大きくなってきたので、その現場を知らずして何も語れないっていうこともありまして。入社してすぐに愛知県の豊川支店に配属になって、まずはドライバーの業務からスタートしました。
―その後に本社に移られたとのことですが、どのような業務に従事していたのでしょうか?
2年目から本社の業務監査課に異動になり、全国の支店を回って「業務がルール通り行われているか」を監査する、是正していく、という仕事をしていました。相手は大ベテランの20年とか30年目社員の職人さんみたいな人たちが沢山いるわけですよね。
その人たちに向けて、「これ間違っていますよね」といったことを言わなければいけない、という大変な仕事だったのですが、当時に関わりを持った人たちが偉い人になっていたり、今では味方になってくれたりしてるんです。全国の現場を直接見たことで業務の知見も深まり、ネットワークが出来たという点で、結果的にはこの経験がとても良かったです。
―全社的なプロジェクト業務にも関わったんですよね?
業務監査の仕事をしながら、ISO9001取得のプロジェクトに関わりました。当時、全国を監査で回っている中で、そもそものルールが可視化されていなかったり、どのルールが最新版なのか分からなかったり、各地のローカルルールみたいなのがある、というような状況だったんです。
なので、それを「全社統一のルール化していく、新しいメンバーが入ってきてもすぐに戦力化できる」といったことに繋げようという目的で取り組んでいました。当時、入社3、4年目のタイミングで同期と2人で苦労しながら取り組んだプロジェクトだったのですが、その時に作成したものがいまだに全社のルールブックのベースになっています。
―当時としてはすごく重たい仕事ですよね。
重かったですね。かつ、そのISOのプロジェクトは過去に縦割りで全く上手く進まなくてポシャって塩漬けされていたという、結構きわどいプロジェクトだったんです。逆に前後関係がよく分かっていない、勢いのみのバカな新人じゃないとできない、みたいな(笑)。
幹部の方々に対してもコミュニケーションを取って、専門家のサポートも受けながら無事に審査通過する、という成功体験が積めました。その経験がベースになっていて、その後のゼロイチを生み出す業務に繋がっているという感覚があります。
―その後も全社プロジェクト業務に関わったんですよね?
「内部統制プロジェクト」の推進業務に関わりました。グループ全体で内部統制を作らなければいけないという時に、これまた色々なところで課題があり、プロジェクトが上手く行ってなくて(笑)。いきなり転勤させられて何も分からないままに、いきなり「内部統制の構築をやれ」というところから始まって、これも苦労しながら1年で整えるという経験をしました。
―全社的にも異質なキャリアの刻み方ですよね。
そうですね。そもそも当時はあまり地域をまたいで転勤させる文化自体がなかったんですけど、私の場合は東京出身で、愛知で研修して、岐阜本社に行って、大阪の現場に行って、東京の現場に行って、また岐阜本社に戻って、また東京に戻る、みたいに、エリアをまたいであっちこっちで仕事をしていました。
あとは職種としても、ドライバーから始まって、本社部門、現場、現場に近い管理部門という全部を経験しているのですが、このような職種異動をする社員もなかなかいないです。
当時は、「このような働き方を総合事務職のキャリアプランにするのだ」というキャリア開発指針だったようなのですが、後にも先にもこういうやつは1人もいないっていう(笑)。でも、私にとっては、どこのエリアにもネットワークがあって、どの分野の仕事も一通り理解できる、という意味でとてもありがたかったです。
事業発想の起点は現場から
―新規事業領域にはどのような経緯で関わり始めたのでしょうか?
新しく「パーセルソリューション」と呼ばれる小口貨物の新規事業開発に取り組むための部署が作られて、その最初の段階から関わり始めました。
当時の弊社グループはBtoB取引中心で、固まっている大きな貨物が中心だったのですが、新しく小口の貨物を運送する事業を考える、というミッションでした。それを土台は全くない中で「イチから考えてね」っていう。
―いきなり新規事業のミッションで戸惑いはなかったですか?
戸惑いはありましたが、新しいものを作る時にも、結局は人間関係が生きてくるんですよね。
新しい事業を立ち上げようと思うと、本社部門、人事労務、経理、トラックの運行管理、オペレーションチーム、と色んな人が絡んでくるんですけど、私にとってはもうすでに全員知っているので、カツカツ歩いて行って「これってああでさ、こうでさ、よろしく」っていうコミュニケーションがどの部署とも取れる。これはものすごく大きかったんですよね。
大きな企業だとどうしても縦割りになるから、「●●部長に話にいく時は、その前に自分の上司の××さんに話して」となって、会議の日程を決めるだけでも1ヶ月くらいかかってポシャる、みたいな感じじゃないですか。そこについては、それまでの業務で培ってきた人間関係があったので、比較的ハードルが低くて、素早く進めることが出来たんです。
―事業アイデア自体の構想についてはどのようなプロセスで進められてたんですか?
これも結局現場なんですよね。現場で課題を抱えている誰かがいて、その課題を紐解いていって、解決するための機能とソリューションに落とし込んでいく、という。机上で考えたものはほぼないと思っていただいてもいいくらいな感じです。
―どのように現場意見を吸い上げてたんですか?
よく課題探しのために現場との意見交換をしました。それまでの仕事で関わった現場とのネットワークがあるから、直接電話して聞いてみたり、逆に「これを何とかしろ」みたいな話をもらったりすることもあります。
現場からのニーズの中でも、ただの現場のわがままや、お金のかかる話もあるし、様々ある中で取捨選択をしていって、「これって結構売れるかもな」みたいな話とか、「大きな課題解決になるかもしれないな」っていう種を拾っていく、というプロセスです。だから、アイデアの種自体は常に結構沢山あるという状態でしたね。
―ココネット事業もそこから生まれたものなんですか?
そうです。食料品という小口貨物に注目した時に、もう課題だらけなんですよね。高齢者の方は「買い物が大変だ」と言っている、スーパーは「届けられない」と言っている、社内は「そんな小さい道では大きな車で配達できない」と言っている、みたいなところから始まって。
どれもこれも課題だらけ、という状況だったのですが、このように課題だらけな領域は、「解決さえすればとりあえず金にはなる」というところなので、それで進めていってやっぱり当たったという感じでした。
―どのような経緯で事業責任者を務めることになったのでしょうか?
当時の部署が本社にあったのですが、だんだん事務所で真面目に机に座って仕事をするのが嫌になってきて(笑)。
管理職になって1年くらいだったんですけど、ココネット事業を推進するプロジェクトを別で作って、自分から出ちゃったんですよね。管理職の仕事って、数字をずっと見続ける管理業務とか、印鑑押さなきゃいけないとか、しっくりこないものが多くて。「これやっててもあまり俺の仕事じゃねぇよな」ってなってしまって(笑)。
強烈な原体験と顧客のペインがモチベーション
―ココネット事業立ち上げ当初はどのような苦労がありましたか?
私が一番若い中で、管理職の経験者含めて7人くらいの組織でスタートしたのですが、パワーポイントも使えない、メールも使えない、という方が多くて、という組織だったんです。提案書を作れない集団が事業を立ち上げるんですから、最初は売り上げも全く上がらなくて、もう日々日々やることがない、という。
「売れるはずだ」と思って事業を作ったものの、皆やることがないわけですよ。一日中暇で、17時くらいになるとみんな帰る、みたいな感じになっていて。
それこそ居酒屋とかに寄って、「いや今日も大変だったよね」っていう慰めリーマンの塊みたいになっていて(笑)。そんな状況もありながら、少しずつクライアントを抑え始めてきて売り上げも立ってきて、2011年に分社化して子会社を設立しました。
―分社化後は順調に立ち上がっていったのでしょうか?
分社化したものの、当然人件費が重いんですよね。世のベンチャーとは違って、いきなり役員クラスの人たちの給料が乗っかってくるという状況で、2年くらいの間は「赤字ってこうやってできるんだ」っていうくらい、どんだけやっても赤字みたいな状況になってまして。
毎日PLを見ているんですが、年間の赤字額がとんでもない金額になっていて。企業の中の一部署だった時は、褒められることはあっても、責められることはほぼなくて、どれだけ居酒屋にいてもなんのプレッシャーもなかったのですが、子会社にした瞬間にPL責任が出てきて、これは本当にやられましたね。
―そのような状態からどうやって再建していったのですか?
2013年2月頃に、計算上前もって分かってはいたものの、とうとうキャッシュが見事に詰まり、「事業自体を潰すか、会社は潰して事業を一部署に戻すか、そもそもどうするんだ」という議論が起きました。
ただ、私としては「ここのパラメーターをいじれば絶対に黒字になる」という確信もあって、当時のグループ子会社社長の中では、異例の若さで社長に就任することになりました。
そこからは、取引先にお願いに周ったり、「1円領収書」という「会社のお金を1円でも使う時は私に電話をしないといけない」というルールを設けたり、仕組みと意識の面で思い切った改革を進めていきました。そうするとやっぱり徐々に数字が詰まってきまして、社長就任から2ヶ月後の2013年5月には黒字化することが出来ました。
―素晴らしい改革ですね。
泥臭い働きですよ。その年の5月の連休とかは、固定給である私も配達することによって、当然費用が下がるので、スタッフと一緒にずっと配達をしてまして(笑)。そんなこともやりながら、そこからはおかげさまで、ずっと黒字を続けています。
―ものすごいコミットだと思うのですが、どんなモチベーションでやっていたんですか?
まずは事業も部署も自分で作ったっていうことがあるので、そこが一番ですね。
あとは、私自身の経験として、祖父が買い物に行く途中に自転車で倒れて骨折し、後に車いすの生活になった、ということがありまして。そして、祖母も買い物に行った時に、当時流行っていたひったくりに遭って、それからは恐怖心でなかなか外に出ない生活になってしまった、ということがあったんです。
ココネット事業のような買い物代行サービスがあれば、祖父も自転車で倒れなかったし、ひったくりがなくなっていたかというとそうではないし、もちろん全部が全部を解決はできないんですけど、祖父母の両方が「買い物」というキーワードでの「負の体験」があったんです。
せっかく物流の会社で仕事をしているし、「そういう人たちを助けられるんだったら、それはなかなか面白いよね」という思いはありますね。
―ご自身の原体験にも深く根ざした事業だったんですね。
そうなんです。実際にお客さんに届けに行くとすごく喜ばれるし、それを何度も何度も経験していくと、企業の論理だけで、「すみません赤字だからやめます」というのは、ちょっと許されない世界観になり始めているんですよ。
もう生きる死ぬに関わる人も結構いますからね。それを見るにつけ、やっぱりちゃんとしたビジネスモデルにして、継続性をしっかり担保するっていうのも非常に重要だと思っています。
―他に手がけている新規事業についても同じような思いですか?
他にもいろいろな事業を作っている中でも、やっぱり「ビジネスとして成り立つのか」は気にするポイントです。本当に赤字続きの時は、毎晩のようにお金の夢しか見ないくらい苦しいです。
ただ、一般的なスタートアップの皆さんとかと比べると、個人で借金したりすることはなくて、親会社とのやりとりだけだから、それはすごく恵まれていて、イントラプレナーの良さでもあると思います。
社会課題は「物流の力」で変えられる
―ご自身で事業に取り組む以外にも、組織として新規事業を生み出すための運営もされてらっしゃいますよね?
はい。社内から生み出すことも、オープンイノベーション的に外部連携することも含めて、新規事業創出のための様々な取り組みをやっています。その部署の管轄もしていますが、現状14人のメンバーがいて、それぞれ1人1人が実際の事業を作って動いている状態です。
制度として面白いのは、やりたい社員を全社公募で募集して、実際に異動してから半年〜1年くらいで、自分で事業を作って会社を興すか、グループ内の事業会社に持ち込んで自分が事業部長でやるか、のどっちかを必ずやらせているんです。
―募集段階でテーマは設けたりするんですか?
いや。もう何でもいいので、とにかく新規事業がやりたい人を募集して受け入れてます。手を上げてくれたらもう入れちゃえ、といった感じです。年齢も国籍もバラバラなメンバーたちがいるのですが、それをぐちゃぐちゃに混ぜて、各プロジェクトに取り組んでもらっています。
―どんなテーマに取り組むかは、参画してから一緒に考える、という?
そうですね。基本的には、やっぱり困っている人の課題を見つけてくるところがベースですので、みんな日々とにかく外に出張っていって、イベントに参加したり、色々な会社さんから話を聞いたりしまくっているという感じです。
とはいえ、弊社グループはインフラとしての様々なアセットがあるので、今のところは「アセットを活用したもので既存の仕組みをトランスフォームしろ」ということはよく言っています。例えば、全国のトラックを活用するとか、全国で4,000室ある寮の部屋を活用するとか。
―今後取り組んでいきたいチャレンジはありますか?
SDGsのような社会課題解決の領域はすごくやっていきたくて。私自身のテーマ自体は結構そっち側に揺れ動いていて集中して取り組んでいます。運送業として全国に営業所というアセットを持っていることで、社会課題解決のインパクトも出しやすいと見立てています。
例えば、フードロスなどの分野でも「物が移動できないから捨てざるを得ない」ということがあったりするので、物流の力で変えられる部分があると思うんですよね。
実は、4月1日に会社を作って動き出しているんですけど、いま熊本に東京ドーム3個分の農地を持っているんですよ。
―自社栽培して、それをワンストップで販売・配達する、という事業ですか?
そうですね。そして、従業員は障害者の方を雇用して取り組むという事業です。2018年5月に初めて熊本県球磨郡の農地を訪れ、そのあとは主に週末を活用して現地に行って、現地の方々と議論を重ねたのですが、これもやっぱり物流の力が重要です。
特に小規模農家だと、「良いものが作れても、運賃が高くて流通させられない」っていう課題があるんです。そうすると、せっかく美味い物が各地で収穫できても、結局流通しなくて捨てられてしまう。
この課題について運送業のアセットを組み合わせると、欲しい人のところに物が渡せるという風に思っていて。農業、漁業、林業などの一次産業のほとんどは、物流の力で産業自体を変えられる可能性を秘めていると思っていて、その足がかりとして農業を始めて、林業にも取り組もうとしています。
あとは、その他にも自動運転やロボットやAI・ビッグデータといったテクノロジーを活用した事業もあって、いま100個くらいのプロジェクトが回っていて、よく分からない状態です(笑)。
社内起業家としての働き方
―常に動き続けているような印象ですが、河合さん自身はどのような感覚で働いていますか?
もうライフワークですよね。新しいことをやり続けるのが楽しくて、いわゆる「仕事」としてはやってないですね。平日は色々なビジネスパートナーさんと話をしたり、週末は熊本の農地に行ったりという日々の中で、常に発見もあるし、やりたいことは沢山ある中で、どう優先順位をつけていくか、というのが働き方の中での一番の課題ですね。
あとは、いまだにココネットの配達とかもやったりするんです。現場業務が自分のエンジンだったりするので、実際に現地の消費者と相対して。お客さんからすると、当然普通のスタッフだと思われているわけですけど(笑)。
―飛び回っている感覚ですね!休みはあるんですか?
基本的には、休んでいるという感覚がなくて、常にアイドリングしている感じですよね。いま7歳の娘がいるんですけど、「3日間連続で一緒に晩御飯を食べられたら奇跡」と言われているので(笑)。
―今後のキャリアビジョンはどのように考えられていますか?
うちの社内で言うと、「臆せず作り続けたい」っていうのはあります。その中でも、やっぱりもっと社会インパクトの大きなものをやっていきたいですね。それが、もしかしたら社内の枠じゃなくなることもあるかもしれないし、場所にはこだわらずにより大きな社会インパクトを目指してやっていきたいと思っています。
社内起業家へのメッセージ
―最後に、日々奮闘している社内起業家の方々へメッセージ、応援のアドバイスを頂戴できればと思います。
もっと企業同士で横の繋がりを作ってコミュニケーションが取れれば、色々と一緒にやれることがありそうな気がしていて、それができるといいな、と思います。
弊社は岐阜に本社があるので、なかなか気軽に声を掛けてもらえないわけですよ。そういうことを考えると、「あいつらのところは面白いことをやっているから、気軽に一回相談してみるか」って思ってもらいたいなと思っています。
そういう流れを作ってコミュニケーションの敷居を低くしていけると、仮にシナジーがない話でも、別にお金の関係がない世界でも、その話がハマりそうな知っている企業と結びつけて紹介すれば上手くいくような気がしていますので、そういうハブや起点になっていきたいなと思います。
オープンイノベーションの取り組みも、今までは大企業とスタートアップの2社間だったものが、「3社間、4社間のネットワークで大きなインパクトを出していく」っていうのが重要になってくると思っているので、そういうことができるといいなっていうのはすごく感じていますね。ぜひお互いに巻き込んで、化学反応を起こしながら、面白いことを仕掛けていけたらと思っています。
編集後記
河合さんは、ご自身の濃すぎるご経験を体現したような非常にエネルギッシュな方で、これまでの経験や今後のチャレンジなど、とても熱量高く語っていただきました。
重厚長大な運送会社の中で、異質なイノベーターとして活躍を続ける河合さんですが、
・社内ネットワークもフル活用して素早く進める
・机上で考えずにとにかく外に出る
・現場を大事にして常に課題にアンテナを立てる
・顧客と会うことで原体験化して、事業推進のエンジンにしていく
といった、企業内新規事業開発において学ぶことができるエッセンスが沢山詰まったインタビューに仕上がっていると思います。
まだまだ誰よりも前線に立って活躍し続ける河合さんと、豊富なアセットを持つセイノーホールディングス社が仕掛ける今後の展開に、引き続き注目していきたいと思います。
取材・構成・編集:加藤 隼 撮影・デザイン:古川 央士
セイノーホールディングス株式会社、ココネット株式会社、セイノーメンテック株式会社、株式会社モエ・アグリファーム
河合 秀治
1997年に西濃運輸株式会社に入社し、豊川支店でのドライバー業務、本社監査室での業務等を経て、ISO認証取得プロジェクト、行動変革プロジェクト、内部統制プロジェクト等に携わる。 2016年からはセイノーホールディングス株式会社のオープンイノベーション推進室長に就任し、複数の新規事業開発を推進しながら、ココネット株式会社等の子会社社長も務める。