Interview

【パナソニック】圧倒的な情熱で創る新しい食文化「ミツバチプロダクツ」

【パナソニック】圧倒的な情熱で創る新しい食文化「ミツバチプロダクツ」

大企業から事業アイデアをカーブアウトするスタートアップ支援企業、BeeEdgeの第1号投資案件として発足したミツバチプロダクツ。
その立ち上げの立役者となった情熱溢れるリーダーに迫る。

ハードで泥臭い現場でも成果を残す

―はじめに浦さんの自身のキャリア・経歴についてお伺いしたいと思います。ミツバチプロダクツ設立前に関わってきた仕事について教えてください。

1社目がパソコン機器の代理店で、1日に何十件も飛び込み営業をやっていました。その後インストラクターの仕事を経験して、旧九州松下電器に中途で入社しています。

入社して最初に経営企画室の本社スタッフ部門で働き始めました。その後に、異業種コラボレーションの「WiLL」のプロジェクトに参画して、トヨタさんやアサヒビールさんなどの異業種企業と「同じ思想のもとに商品作りをする」という取り組みをしていました。この取り組みでメディアにも出させていただいて、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー」のキャリアクリエイト部門で受賞しました。同部門の1位が、NTTドコモでi-modeに関わった松永真理さんで、という時代ですね。

―入社してどれくらいの時期のことですか?

九州松下電器に入社して4年目くらいです。その後、九州松下電器には「レガシーな商品が多くて若い世代に商品を売れていない」という課題感があって、「FAX」と「アルカリイオン整水器」という全く違う畑の商品の企画の仕事を、それこそスケッチ段階から担当することになりました。

―コンセプト段階から考える商品企画の仕事ですね。

はい。実は、FAXを小型化したり、アルカリイオン整水器の電解層を3分の2くらいまで縮めたりといった、このころの企画と技術が今の商品戦略にも活かされていて。

その当時から、単純にパッと見のデザインを変えるだけの商品企画っていうのはあまり好きじゃなくて、機能も連動させていきたいという思いで企画の仕事をしていました。そんな仕事を評価してくださったのが、前々会長の中村会長(現相談役)で、そのご縁があって、2012年に松下電器産業に転籍になりました。

―転籍後はどのような業務をしてきましたか?

転籍後の1年間は、北京と上海のショールームの企画コンセプト立案の国内のリーダーをしていました。この仕事はすごく好きだったんですけど、残念ながら1年間で終わってしまいました。

その次は全く真逆で、家電量販の法人営業の現場に配属になり、経験豊かな男性たちしかいないところに唯一の女性営業として初めて行かされまして。それまではちょっと花形の綺麗な仕事が多かったんですよね、でもこの現場では白いスーツなんか着ることなくて、いつもエプロンと電卓としゃもじを持って仕事をしているみたいな感じでした(笑)。 

その時に、私が今まで持っていた薄っぺらいプライドがそぎ落とされたといいますか。直前のショールームの仕事では、広告代理店の皆さんも経験の浅い私たちにも丁寧に接して下さり、自分たちがお願いした事を徹底的にやってくれるわけです。ところが今度来たのは真逆の現場で、物を販売しないとじゃないですか。もともとの社会人はじめのころは営業でしたけど、「またこの30を過ぎた年でイチから営業やらなきゃいけないんだ」と。

当時の営業の現場って女性が働きやすくなくて、「営業の現場になんで女がくるんだ」みたいな雰囲気もあって。心が折れることもたくさんあったんですけど、やっぱり現場が大事だと思っていたので、販売会社のメンバーと意識を合わせて一緒にしようということで、ここですごく数字上げたんですね。営業を7年間やっていて、年間トータルの売り上げも落としたことは1回もなくて、これはたぶん新記録だったと思います。本当に現場の大切さを教えてくれた販売会社と量販店の皆さんのおかげなんです。

―大変な苦労だったと想像します。

ミツバチプロダクツを設立して以降のことだけを見ていると、綺麗なキャリアに見えるかもしれませんけど、結構苦労人タイプではあると思っています。

ただ、この苦労が今の若い人たちがやるべきことか、って言われたらちょっと違うな、とも思いますけどね。もっと器用にやった方がいいし、社会や会社が環境を与えてくれるようになったので仕組みの中でやれた方がいいな、と思っています。ただ、私にはそういう経験が必要だったので、この営業の7年間が必要だったと思います。

営業に配属になってから実績と信用を獲得するまでの3年間くらいは本当にしんどかったですが、現場の皆さんに助けられて、お客様が喜んでくださったので耐えることができました。ここの話だけで1時間かかっちゃうから、ちょっとこの辺にしておきますね(笑)。

―その後のご経験も教えてください。

その後にコンシューマー向けマーケティング本部で新しい商品やサービスを企画する仕事を担当することになったんです。

ただ、マーケティング本部だったので実際にモノを作ることが困難だったので電子レンジのコミュニティサイトを立ち上げて、「ビストロ」ユーザーのファン化促進と買い替え需要に的を縛り、企画をまとめました。

当時は前例もなくてとても反対された企画だったのですが、今では「キッチンポケット」っていう人気サイトになっています。そして、この仕事を立ち上げた後、今の仕事につながる発酵事業へのチャレンジをすることに決めました。

―もともと新規領域に興味もあって、周りからも得意と思われていたのでしょうか?

得意というよりも、昔でいう土を耕していたような「開拓者」なんだと思います(笑)。

営業時代に学んだ大事なことが「諦めない」っていうことで。当時はなかなか理解してくれる仲間がいなかったけど、コミュニティサイトの時もずっと上司の隣で説得していて。初めはすごく反対されましたけど、最後の最後にはその上司も応援してくれて、外部パートナーも含めて全部自分で探してきたので、それは今もやっていることが変わらないですね。

「絶対にやれる」と動いた結果のカーブアウト

―ミツバチプロダクツ立ち上げの経緯について教えてください。

そのあとに、コーヒー焙煎機の「The Roast」っていうパナソニックとして初めてのIoT家電を作ったりしましたが、「1つのサービスに担当者が複数いて、なかなか物事が決まらない、責任も明確化されてない」というもどかしい経験をしました。

いろいろと経験してきた中で、私は「事業の立ち上げはたくさん経験しているけど、育てることができていないな」と思っていたんです。このきっかけで部門内で企画してやりたいなと思った分野が「発酵食」で、今の事業につながるチョコレートマシンの構想を開始しました。

―一度パナソニック社の社内新規事業として提案をして、その時は通らなかったんですよね?

ダメだった。ダメだったけど、もともと、海外展開に難色が出ていたこともあって、「もう外でやりたい」っていうのがちょっとあったんですよね。

「食」って国内外の境界線がないものだと思っていて、その中でも世界中の、お子様からお年寄りまで、色々な方に愛される食品としてチョコレートを選んだんですよ。それなのに、私の担当が国内だからといって、何で国内でしかやっちゃいけないんだろう、って思っていて。

その時から「海外でやりたいな」っていうことを思っていたので、知り合いのインドネシアの工場長とかにプライベートで会いに行ったりしていました。

そして、やっぱりパナソニック内でやると品質基準がどうとか、事業部の品質サポートの仕組みがないといけないので、この仕組みを作るために、社内の色々な部署に話に行って。それで、皆さん、「良い!良い!」って言ってくれるけど、動けないんですよ。結局、応援団はいても、決裁権がある人は1人だし、やっぱり大きな企業だから決められなかったんです。

―そんな中でのBeeEdge(パナソニック内からの新規ビジネスの創出促進を目的に、Scrum Venturesとパナソニックの出資により設立された合弁会社)からの投資決定は、どのような経緯だったのでしょうか?

春田さん(現BeeEdge代表取締役社長)と出会った時に、「シンプルに自分が決めて、判断できて、行動できるところにもチャレンジした方がいいな」と思ったんです。当時はまだBeeEdgeっていう会社自体もなくて、準備委員会の段階だったんですけど。

でも応援団もいたし「社内でやる、やらない」じゃなくて、もう「やれる!」って思い込んでいたから。「ダメって言われても、絶対誰かが良いって言うはず」って思っていたんです。

―ご自身の中で強い確信があったんですね。BeeEdge自体はどのような目的で設立されたのでしょうか?

パナソニックの中で、「社内に新規事業を産む枠組みがあるものの、なかなか実際に事業化できない」っていう課題を半世紀くらい抱えていまして。パナソニックじゃないブランドでやったらできるんじゃないか、っていうことで、ScrumVenturesさんとパナソニックとで話し合っていて、会社設立の準備が進んでいました。

その時の直属の上司に「このチョコレート事業がやりたい」って話した時に、まだ決まってなかったので明確には言われなかったのですが、「BeeEdge構想を考えていて、そこに期待しちゃだめだけど、浦さんはそこでしかできないと思う」って言われたんです。

―何も確約はない状況の中で、ですよね?

巨大なお金が動くし確定でもなくて、私がそれをあてにするというのもダメですが、何もない中でそんな話をしていました。

そして最後の方では、その上司と「この案件はパナソニックではなく外でやった方が良い」と判断して、社内の皆に「パナではなく、外部でのチャレンジが良いと言っていただけるようにNoプレゼン」をしたんです。「企画台数が少ないからやっぱり出来ないですよね?」って。皆さんに「出来ない」と言っていただけるために1ヶ月間くらいを費やして草津を回ってました(笑)。

ただし、その時点ではBeeEdgeから出資を受ける確約もなかったので、私も賭けですよね。でもパナソニックの幹部の方と話したりすると、みんないい人だけど、「決められないから、もう無理だな」と思って。

ただ、私はもともとパナソニックが好きだし、やっぱり将来はパナソニックに返したいっていう思いが今でもあって。自分が事業として芽を出して、将来的には事業がパナソニックに戻ったらいいな、って思っているんです。

―BeeEdgeとの出資交渉にあたってはどのような苦労がありましたか?

もともとパナソニック内で人もリソースもある状態でやっていたところから、「どういう人員で、座組で、計画でやっていくのか」っていうところを練り上げていくのに時間がかかって。2018年8月にBeeEdgeの取締役会で決議が下りて、投資が決まった形です。

パナソニック時代は、パートナーの方がいて、他のメンバーもいたんですけど、みんな解散したんですよ。メンバー集めが大変っていうのが身に沁みました。今までは自分の想いのもとに、色々な方が集まっていていただけていますが、やっぱりパナソニックから外れて休職するということになると、みんなパナソニックが好きなので離れたくないし。

それで、今回は出向で何名か来てもらえたんだけども、パナソニック基準での出向レートもありますし、働き方の意識ってそうそう変わらないんですよ。商品作りだけじゃなくて、わずか1人か2人のメンバーでさえも価値観がこんなに違うし、その価値観を認めながら、どういった働き方がスタートアップとして良いのか、というのは今でも試行錯誤しています。

―8月に出資が決まって、プロダクト作りを開始して、11月に発表という、ものすごいスピード感ですよね。

プロダクトをパリの「サロン・デュ・ショコラ」の祭典に持っていきたかったので、8月の段階から「持っていく」って決めて、皆さんには動いてもらっていましたね。

もしそれで会社がダメだったら借金を背負わないといけなかったかもしれないけど。そういう疑いがないんですよね。「何かやれる」と思っていたから。冷静に考えていたらやれなかったかもしれないですね。

「新しい食文化」を創っていきたい

―事業とプロダクトについても深く聞いていきたいと思いますが、改めて事業と製品(∞ミックス)に込めた思いをお話しいただけますでしょうか?

チョコレートってマヤ文明からあって歴史がすごく長いんですけども、「今の時代のスーパーフード、エナジードリンクになれる」という思いがありまして。「チョコレートの新しい魅力にスポット当てていきたいな」という思いで作っています。

最近は市販のチョコもカカオ濃度が高いものが出てきたんですけども、濃度が高いほどスーパーフードには近くなりますし、それを「美味しく飲める」っていうのが今回の商品の良さです。これまでチョコレートドリンク作るときって、お鍋で15分くらい溶かしていたのが、30秒間くらいで出来ます。

パナソニックはスチーム技術がすごく得意だったのですが、スチームだけだとどうしてもチョコの溶け残りがあったんですね。そのため、スチームとブレンダーノズルというものを合体させて溶けやすくしました。スーパーフードとしてのチョコレートに注目したので、「カカオ濃度が高いチョコをどうやったら飲みやすくできるかな」と考えたのがプロダクトに反映されています。

また、このマシンによって、どんなチョコレートでもきちんと乳化させてドリンクとして提供したかったので、「指定のチョコレートを作らなかった」という部分にもこだわっています。皆さんの好きなチョコレートでドリンクを作ることで、皆さんご自身にも「このチョコでこんなに味が広がるんだ」っていう新しい発見をしてほしかったんですね。

デザイン面では、通常パナソニックだったら色々なボタンを付けてしまうのですが、デザインは基本シンプルに。

―説明書なしでも使えそうなシンプルで洗練された設計ですよね。

「チョコを溶かす」ということが初めての経験でも、その所作を早く慣れてもらうのもすごく大事なので。操作性もありますけども、機能もシンプルにしたっていうことと、「どんな場所でも電源さえあればカフェになる」っていうようにしたかったので、サイズも小さく。

本当はもっと大きなマシンにした方が、高そうに見えるかもしれないけど(笑)。これからの時代は、皆さんがどういう場所で商売をされるか分からなかったので、「小さく、小さく」っていうのはすごく思っていて。ただ、小さくし過ぎて、作る方は本当に大変だったと思います。

―3月に発売されて、反響はいかがですか?

もともとターゲットと考えていたパティシエさんよりも、むしろチョコレートを今まで取り扱っていなかったお客様から、「チョコレートって面白いね」っていう反応をいただいています。例えば、マツダスタジアムさんなどでも寒い日にこのマシン出していただいて、1日400杯くらい売れていたり、大阪の老舗コーヒー屋さんの丸福珈琲さんとかも「すごく面白い」って言ってくれて。

私たちとしては、チョコレートを初めて扱ってくださるお客様から良い評価をいただいたのは意外なところでしたが、そこに広まらないと大衆化には繋がらないから良かったな、と思っています。

―今後はどのような戦略で拡大を考えてらっしゃいますか?

まず、このプロダクトでいうと、チョコレートを飲む文化を広げていくためにファンを作らないといけないと思っています。作ったファンの方々をもとに、将来的にビジネスになるように仕上げていきたいので、いま販売させていただいているお客様と丁寧に向き合いつつ、今年の秋以降にはカフェチェーンなどへの展開を狙っていきたいです。

今はハード売りにしか見えないかもしれませんけど、新しい市場を作るために仲間を増やしている最中ですね。各社さんといろいろ連携をしてやっていきたいな、と。

ミツバチプロダクツとしては、チョコレートマシンだけじゃなくて、「次の新しい食文化を築けるようなもの」を作っていきたいので、今はお伝え出来ないんですけども、チャレンジしていきたいと思っています。

―今後も事業としてはやはり「新しい食文化を創ること」に主軸を置かれるんですね。

はい。ただこの食文化っていうのが、「0から1」っていうよりも、「1から1.5」とか、少し角度を変えてっていう意味ですね。さらに光を当てた方がいい食材や技術にしっかりスポットを当てていきたいな、と思っています。

社内起業家としての働き方

―もともと社内から外に出てチャレンジをした起業家としての働き方についてもお聞かせいただきたいと思います。社内で起案してダメで、でなぜ諦めなかったのでしょうか?

「やれる」と確信していたこともありますが、極端な話、BeeEdgeからダメって言われても諦めていなかったと思います。今はもちろんチョコレートドリンクを作りたいんですけど、「発酵食」に着目しているので、もしダメだったら手段を変えるんですね。私の中で「3年で何も見えなかったらやめる」っていうのは決めていて、もしチョコレートがダメになっていたら、違うことをやっていると思いますね。

―事業リーダー、代表として周りを巻き込むポイントはどのようなところだと考えていますか?

「目標を明確化すること」だけです。例えば今回であれば、「絶対サロンドショコラに間に合わせないといけない」とか。近々の目標をしっかり立てて、1つずつクリアするしかないですよね。「何が何でもやれ」って言いすぎて、ちょっと働く時間をオーバーさせてしまったりと、働き方改革と真逆ですけど(笑)。

―BeeEdge社の1号投資案件というプレッシャーも大きいかと思いますが、どのような心境で立ち向かわれていますか?

それは本当に大変でした。特に、会社を立ち上げる前までがすごい変なプレッシャーと不安がありましたね。でも、不安な時も「大事な経験だからな」って思いながら過ごしていました。

1回失敗した後に成功する人もいるし、いきなり全部成功ってやっぱりないと思うんです。私の人生も、凹凸があるけども、最後はやっぱりチャレンジ出来て良かったと思っているので、どの時点で成功としてみるかの考え方も大事ですよね。「来年に瞬時に売上がすごく立つ」ことだけではなく、企業として3年、5年後の時に「会社にも社会にも役に立ったね」っていう風に思えるようなイメージはずっとしているので。

だから、日々落ち込んじゃう時もあるけど、落ち込まないこと。落ち込んだ時は自分が大事にしている趣味だったり、他のものもやった方がいいな、っていうのが最近の気付きです。どんなことをやっていても、やっぱり24時間ずっと事業について考えてしまっているし、考えない時間を作ることの方が大変だなっていうのもすごく思いました。

―パナソニック社はどのような関わり方をしているんですか?

旧職場との関係はほぼないですが、野放しにしていただいているのかもしれませんね(笑)。

ただ、広報の方をはじめ、パナソニック本社の方には大変サポートいただいています。基本的にはBeeEdgeの春田さんにアドバイスをもらっていますが、数字がどうこうとかの細かい指導っていうよりも、私の社長としての立ち振る舞いなどの視点でのアドバイスをもらっています。

会社設立前に、年収とか手当とか福利厚生とかで悩んでいた時にも、春田さんに大事なことを言われたんですよ。「成功している画が浮かんでいないから、そんな事で悩むんだ」って。自分のところからお金がなくなり、見える福利厚生もなくなり、ちょっと大丈夫かな、って改めて思って。で「そんな視野でしか見てないからだ」って言われて。

―その後に「事業の成功の画」として考えたのはどんなことですか?

将来パナソニックがこのプロダクトを買い取ってくれて、パナソニックの流通を通して全世界の人に届くイメージは持ちながらやっています。うちみたいな小さな組織で芽を出して、それを買い取ってもらう。この仕組みが回れば、私たちもまた新しい事業が展開出来ますし。

―個人としての今後のキャリアビジョンも教えていただきたいです。

今はこの会社を育てていきながら、私も一緒に成長していきたいなって思っていますね。そして、成長したらパナソニックに戻っていくとか、良い循環を作りたいな、っていうのがやりたいことですね。

―安定の道を捨ててチャレンジの毎日だと思いますが、モチベーションの源泉はどこから来てらっしゃるんですか?

松下幸之助 創業者の本を学生時代から読んでいるからだと思います。今では自宅に創業者の写真や冊子を飾っていて、日々 視界に入るようにしながら自分の思想が身勝手な想いではないかと確認するようにしてます。創業者の「世のため、人のため」と、人の生活、世の中が良くなることしか残らないと思っていた部分に共感しているからだと思います。

「シンプルにお客さんが求めていることをやっていくこと、でも求めていることだけじゃなくて、お客様のためになることをしなさい」って言ったのが幸之助さんだったんですよ。お客さんの「アレ欲しい、コレ欲しい」を解決はするんですけど、課題解決しすぎると、それはそれで、お客さんはわがままなこともおっしゃるし。でもそのわがままを制しながら、正しい方向に導いていくのが企業の役割だと思って働いています。

社内起業家へのメッセージ

―最後に、日々奮闘している社内起業家の方々へメッセージ、応援のアドバイスを頂戴できればと思います。

すごいシンプルで自分自身が大事にしている言葉ですけど、やっぱり「覚悟とパッション」です。パッションだけじゃダメで、やっていくっていう覚悟も必要。たまには休憩することも絶対必要だけど、その火が消えたら、もう自分自身が消えちゃうから。

あとは変な話なんですけど、太陽ってずっと照っているじゃないですか。私は太陽とか見たら、「あ、大丈夫だ」って思っちゃう性格なんですよ。毎日、「太陽に感謝、感謝」って思って歩いているし。あまり言うとちょっとおかしな人になっちゃうから、これ以上は言わないほうがいいと思いますけど(笑)。

だから皆さん、困った時は、野に咲いている花とかを見てほしいです。だって野に咲いているんですよ、道端とかに。誰からも水もやられないのに、みたいな!(笑)

後ろ向きに考える時は、あえて自分が後ろ向きになりたいときです。ちょっと2日間落ち込んでみようとか。やっぱりそれもしないとダメで。でも落ち込んでも、絶対3日目は這い上がる、立ち上がるって思うのが大事ですね。

ぜひミツバチプロダクツのことも応援してください! 日本でのモノづくりにチャレンジしたいという技術者や新しい食文化構築のマーケティングにチャレンジしたい方、大募集してます! ピピっときたら一度、ご連絡ください。お話しましょう!

編集後記

浦さんはお会いした瞬間から圧倒的にパッションと熱量に溢れる方で、こちらまで元気をもらえるような印象的な取材でした。

「 “社内でやる、やらない” じゃなくて、もう”やれる!”って思い込んでいたから」という気概と熱量で人を動かして巻き込んでいったストーリーですが、社内起業・社内新規事業においても、この熱量の高さはとても大事な要素だと思いました。

ミツバチプロダクツ社が創る「新しい食文化」に、今後も注目していきたいと思います。


取材・構成・編集:加藤 隼 撮影:川上 裕太郎 デザイン:古川 央士

浦 はつみ-image

ミツバチプロダクツ株式会社

浦 はつみ

1997年に旧九州松下電器株式会社に入社し、後に旧松下電器産業株式会社に転籍。 同社にて、家電量販法人営業・コンシューマー部門商品企画・マーケティングを経験。異業種合同プロジェクト「WiLL」にも参画、企画・営業を推進し「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー」受賞の経験もあり。 2017年からチョコレートドリンク事業を推進。2018年9月に、株式会社BeeEdge(パナソニック内からの新規ビジネスの創出促進を目的に、Scrum Venturesとパナソニックの出資により設立された合弁会社)より第1号案件として出資を受け、ミツバチプロダクツ株式会社を設立し、代表取締役に就任。